原題: Symphony No. IV Bookmarks from Japan / Julie Giroux →ジルーが日本を題材に書き下ろした6楽章で構成する曲。
♪詳細情報♪
ジルーが日本を題材に書き下ろした6楽章で構成する曲。
I. Mount Fuji (富士山) - "Fuji-san"(2:20)
II. Nihonbashi (日本橋)- "Market Bridge"(2:30)
III. The Great Wave off Kanagawa (神奈川沖浪裏) - "The Life of One Wave"(3:28)
IV. Kinryuzan Temple in Asakusa (浅草寺) - "Thunder Gate"(2:00)
V. "Evening Snow at Kambara" (蒲原 夜之雪) - "Light is the Touch"(3:40)
VI. Hakone (箱根) - "Drifting"(3:45)
作曲者:ジュリー・ジルー(Julie Giroux)
演奏時間:22分00秒 (約)
グレード:6
編成:吹奏楽(大編成)
出版社:ムシカ・プロプリア / Musica Propria
販売形態:販売楽譜(スコア+パート譜)
主なソロパート:Bb Cl. Trp.
演奏時間:22分00秒 (約)
グレード:6
編成:吹奏楽(大編成)
出版社:ムシカ・プロプリア / Musica Propria
販売形態:販売楽譜(スコア+パート譜)
主なソロパート:Bb Cl. Trp.
楽器編成
Piccolo
Flute 1-2
Oboe 1-2
English Horn
Bassoon 1-2
Contrabassoon
Bb Clarinet 1-3
Bass Clarinet
Contrabass Clarinet
Alto Saxophone 1-2
Tenor Saxophone
Baritone Saxophone
Flute 1-2
Oboe 1-2
English Horn
Bassoon 1-2
Contrabassoon
Bb Clarinet 1-3
Bass Clarinet
Contrabass Clarinet
Alto Saxophone 1-2
Tenor Saxophone
Baritone Saxophone
Trumpet 1-3
F Horn 1-4
Trombone 1-3
Bass Trombone
Euphonium
Tuba
Contrabass
Harp
Piano
F Horn 1-4
Trombone 1-3
Bass Trombone
Euphonium
Tuba
Contrabass
Harp
Piano
Timpani
Orchestra Bells
Vibraphone
Crash Cymbals
Gong
Taiko Drums (High & Low)
Suspended Cymbal
Bass Drum
Temple Blocks
Shaker
Snare Drum
Marimba
Xylophone
Tam-tam
Tenor Drum
Tambarine
Triangle
Orchestra Bells
Vibraphone
Crash Cymbals
Gong
Taiko Drums (High & Low)
Suspended Cymbal
Bass Drum
Temple Blocks
Shaker
Snare Drum
Marimba
Xylophone
Tam-tam
Tenor Drum
Tambarine
Triangle
♪楽曲解説♪
I. 富士山
葛飾北斎「富嶽三十六景」中の「凱風快晴」を使用した栞から生まれた楽章。
葛飾北斎の「凱風快晴」、別名「赤富士」とも呼ばれる作品からインスピレーションを得て、この「富士山」が生まれました。「凱風快晴」というタイトルの通り、初秋の南から吹く風と晴れた空の下、日の出を受けて、富士山が赤く染まる。富士山は見る人の目、時期、天気、はたまた時刻によって多くの違う姿を見せます。大きく、力強く、分かり易くありながらも、神秘に包まれており、富士山は多くのインスピレーションを与えてくれます。この作品は、富士山を包む霧と雲が時間の経過と共に徐々に晴れていく風景を基にしています。神秘的でふわっとしたスコアリングでこのシナリオに合わせたオーケストレーションと作曲技術を使用しました。曲が進むにつれて、まとまりや力強さが表れ、富士山が完全に姿を現すフィナーレを迎えます。
II. 日本橋
歌川広重「東海道五十三次」中の「日本橋」を使用した栞から生まれた楽章。
歌川広重(1797-1585)は、1831年に江戸から京都へ御所に馬を納める御馬献上の公式派遣団の1人として東海道を旅しました。旅の風景は、広重に強い印象を残し、彼は旅の途上でも、同じ道を戻った帰途でも、数多くのスケッチを描きました。家に帰りつくと、広重はすぐに『東海道五十三次』の作製に取り掛かり、最終的にこのシリーズは55枚の印刷となりました。これは53の宿場に、出発地と到着地を足したものです。この曲はその中の1番目「日本橋」を取り上げています。
日本橋は、現在中央区日本橋地域となっているビジネス街の発展の中心地でした。何世紀もの間商人の街として繁栄し、三井財閥によって創られた日本初の百貨店「三越」もあります。初期の魚市場であった時から日本を代表する金融街となった現在においても、日本橋は日本の道路網の始点となっています。実際に、高速道路の標識に表示されている東京への距離は日本橋への実際の距離です。
1964年の少し前までは橋から富士山が見えました。しかし1964年の東京オリンピックに向けて、橋の直上に首都高速道路が建設されたため、完全に富士山の姿は見えなくなってしまったのです。富士山の景観を取り戻すために、高速道路の地下移転の嘆願が続けられていますが、現時点ではその莫大なコストのために徒労に終わっています。
【曲について】
この楽章の旋律は作曲者オリジナルのものです。1603年最初の木製の橋が日本橋川にかけられた時の橋の魂を表現した民謡風のサウンドになっています。魚市場から始まり、すぐ他の商人が集まる場となっていきます。この曲では通りで行商や値切りが行われていた様子を表現して、メロディーがパート間で受け渡されます。軽快で陽気な雰囲気で、ほぼ全ての楽器が行商します。満足した行商人やお客さんの様子と共に不満気な売り手と買い手の様子が音楽に表れています。
III. 神奈川沖浪裏
葛飾北斎「富嶽三十六景」中の「神奈川沖浪裏」を使用した栞から生まれた楽章。
北斎の作品はよく知られていますが、中でも1830年から1833年に出版されたこの木版画「富嶽三十六景」は北斎の最も有名な作品であり、世界でもよく知られています。この見事な作品は背景に富士山が見えますが、主役は沖浪と呼ばれる先がとがり、カーブし、3隻の舟が別々の位置で危険な波に向かっていく巨大な波です。
この作品は単体の波が、日に照らされて輝く海から生まれ、岩場にぶつかるところまでが描かれています。曲は日の光が何千もの細い光に屈折している穏やかな海から始まります。木管群が16分音符の3連符の変奏によって波打つことでそれが表現されています。トロンボーンとホルンによる旋律の提示があり、それにトランペットが加わります。これは大波の最初の形を描いています。このセクションは38小節目でバンド全体がうねりの動きになる時にピークを迎えます。スコアを見ると、メロディーラインとフレーズが五線上を上下しているのがわかります。40小節目から45小節目は音楽が徐々におさまり、最後には2つの楽器だけになります。これは、海から生まれた波が分裂し、陸地にたどり着くまでを表現しています。45小節目から終わりにかけては、最後の大波になる瞬間までの過程を表しています。
※ハープとイングリッシュホルンはオプションです。
IV. 浅草金竜山
栞には「浅草観音寺の雷門」という作品名が記載してありましたが、本当の作品名は「浅草金竜山」、これは歌川広重の作品です。広重はこの作品が収録された連作『名所江戸百景』を二代目歌川広重が完成させる前に亡くなっています。初版は1856年から1859年の間に順次出版されました。
941年に建てられた雷門は、浅草寺総門として駒形に628年頃建立され、1635年に現在の浅草に再建されました。この大きな門は4つの像が祀られています。神道の神である風神・雷神が正面に、仏教の神である天龍と金龍が背面に立っています。風神は東側、雷神は西側に飾られており、元々は「風雷神門」と呼ばれていましたが、いつの間にか「雷門」とだけ呼ばれるようになりました。
門の真ん中に飾られている巨大な提灯は重さが約700kgあります。その巨大な大きさとは裏腹に、大変繊細です。提灯の正面には雷門の名が、裏側には本来の名前である風雷神門の文字が書かれています。提灯の下部には美しい木製の龍の彫刻が飾られています。何世紀にもわたって、門は倒壊と再建を繰り返してきました。現在の門は1960年に建てられたもので、新しい提灯が2003年に寄贈されました。
観光客としては、柵と網に守られているため像に近づくことはできませんし、触ることもできません。それを鑑みても、この門を通った人々やこれから通る人々の何世紀にもわたる証を刻むことで、雷門の荘厳さは未だ際立っています。
※2つの和太鼓のサイズは必ず違うものを使用すること。
V. 蒲原 夜之雪
歌川広重「東海道五十三次」中の「蒲原 夜之雪」を使用した栞から生まれた楽章。
歌川広重(1797-1585)は、1831年に江戸から京都へ御所に馬を納める御馬献上の公式派遣団の1人として東海道を旅しました。旅の風景は、広重に強い印象を残し、彼は旅の途上でも、同じ道を戻った帰途でも、数多くのスケッチを描きました。家に帰りつくと、広重はすぐに『東海道五十三次』の作製に取り掛かり、最終的にこのシリーズは55枚の印刷となりました。これは53の宿場に、出発地と到着地を足したものです。「蒲原 夜之雪」は15番目の宿場です。
歌の形を取ったこの曲は、降る雪とは違うソフトタッチの精神的癒しの柔らかいゆっくりとした進行を歌にしたものです。この作品は、ピアノ、ハープ、アルトフルートのソロで始まります。旋律はシンプルですが、心に残るもので、ゆっくりと奏者が増えていきながら進んでいきます。そして冒頭と同じ3つの楽器のソロで曲が終わりを迎えます。歌の形式をとっており、歌は癒しの柔らかいタッチを表現しています。
【演奏について】
この楽章は視覚的に三重奏(ピアノ・ハープ・アルトフルート)と吹奏楽伴奏になっています。
アルトフルートは尺八で代用しても構いません。パンパイプでも大丈夫ですが、冒頭と終わりだけにしてください。
ハープは琴や三味線で部分的に演奏しても構いませんが、中間部ではハープが必要です。
VI. 箱根
歌川広重「東海道五十三次」中の「箱根宿」を使用した栞から生まれた楽章。
歌川広重(1797-1585)は、1831年に江戸から京都へ御所に馬を納める御馬献上の公式派遣団の1人として東海道を旅しました。旅の風景は、広重に強い印象を残し、彼は旅の途上でも、同じ道を戻った帰途でも、数多くのスケッチを描きました。家に帰りつくと、広重はすぐに『東海道五十三次』の作製に取り掛かり、最終的にこのシリーズは55枚の印刷となりました。これは53の宿場に、出発地と到着地を足したものです。
箱根宿は10番目の宿場でした。標高725mにある素晴らしい景色の広がる最も高地の宿場です。箱根宿は1618年に建てられました。そして何年もの間、その高さゆえに手入れするのが難しい道でした。
箱根について調査を始めた時、私の創作意欲が全く掻き立てられませんでした。ただのカーブとスイッチバックが多い長い道のある街でした。地図で実際の道路を見たら、ピンときたのです。以前この道路を見たことがあったのです。そこで本当に全体の道路の形を思い出しました。
実際の道路をこの目で見たことはありませんが、私はこの謎を紐解かなければなりませんでした。インターネットでより詳しく調べたところ、そこに答えがありました。私は熱狂的な「ゲーマー」で、PCゲームとテレビゲーム問わずどんなタイプのゲームもします。レーシングゲームもよくするのですが、箱根は以前ゲーム内で「運転したことがある」場所だったのです。ゲーム中、私が道路上でドリフトすると、そのほとんどは道路外へ押し出され、宙を舞い、ついには燃えながら転倒して落っこちてしまいます。インターネットでいろいろと探してみると、Youtubeでは1台だけでなく、1列に並んだ長い車の列が箱根を走るために東海道をドリフトしている映像が一見しただけでも無限に存在していました。
【曲について】
「ドリフト」という副題をつけましたが、この曲は狂ったことをしたり、可笑しいことをしたりする速い車への私の愛が反映されています。今回はそれが「ドリフト」でした。ドリフトは、カーブを通る間に、ガソリンと正確なハンドル位置、コントロールされたスリップを続けるというブレーキ操作の芸術です。音楽は、箱根を通って東海道でドリフトする車の興奮したレースと心臓がバクバクする動きを描いています。私なりの音楽でのドリフトです。全壊も激しい事故もないことを祈りましょう。東海道でのドリフトが私の次回来日した際の「やるべきこと」リストになることでしょう。
※ハープとイングリッシュホルンはオプションです。
葛飾北斎「富嶽三十六景」中の「凱風快晴」を使用した栞から生まれた楽章。
葛飾北斎の「凱風快晴」、別名「赤富士」とも呼ばれる作品からインスピレーションを得て、この「富士山」が生まれました。「凱風快晴」というタイトルの通り、初秋の南から吹く風と晴れた空の下、日の出を受けて、富士山が赤く染まる。富士山は見る人の目、時期、天気、はたまた時刻によって多くの違う姿を見せます。大きく、力強く、分かり易くありながらも、神秘に包まれており、富士山は多くのインスピレーションを与えてくれます。この作品は、富士山を包む霧と雲が時間の経過と共に徐々に晴れていく風景を基にしています。神秘的でふわっとしたスコアリングでこのシナリオに合わせたオーケストレーションと作曲技術を使用しました。曲が進むにつれて、まとまりや力強さが表れ、富士山が完全に姿を現すフィナーレを迎えます。
II. 日本橋
歌川広重「東海道五十三次」中の「日本橋」を使用した栞から生まれた楽章。
歌川広重(1797-1585)は、1831年に江戸から京都へ御所に馬を納める御馬献上の公式派遣団の1人として東海道を旅しました。旅の風景は、広重に強い印象を残し、彼は旅の途上でも、同じ道を戻った帰途でも、数多くのスケッチを描きました。家に帰りつくと、広重はすぐに『東海道五十三次』の作製に取り掛かり、最終的にこのシリーズは55枚の印刷となりました。これは53の宿場に、出発地と到着地を足したものです。この曲はその中の1番目「日本橋」を取り上げています。
日本橋は、現在中央区日本橋地域となっているビジネス街の発展の中心地でした。何世紀もの間商人の街として繁栄し、三井財閥によって創られた日本初の百貨店「三越」もあります。初期の魚市場であった時から日本を代表する金融街となった現在においても、日本橋は日本の道路網の始点となっています。実際に、高速道路の標識に表示されている東京への距離は日本橋への実際の距離です。
1964年の少し前までは橋から富士山が見えました。しかし1964年の東京オリンピックに向けて、橋の直上に首都高速道路が建設されたため、完全に富士山の姿は見えなくなってしまったのです。富士山の景観を取り戻すために、高速道路の地下移転の嘆願が続けられていますが、現時点ではその莫大なコストのために徒労に終わっています。
【曲について】
この楽章の旋律は作曲者オリジナルのものです。1603年最初の木製の橋が日本橋川にかけられた時の橋の魂を表現した民謡風のサウンドになっています。魚市場から始まり、すぐ他の商人が集まる場となっていきます。この曲では通りで行商や値切りが行われていた様子を表現して、メロディーがパート間で受け渡されます。軽快で陽気な雰囲気で、ほぼ全ての楽器が行商します。満足した行商人やお客さんの様子と共に不満気な売り手と買い手の様子が音楽に表れています。
III. 神奈川沖浪裏
葛飾北斎「富嶽三十六景」中の「神奈川沖浪裏」を使用した栞から生まれた楽章。
北斎の作品はよく知られていますが、中でも1830年から1833年に出版されたこの木版画「富嶽三十六景」は北斎の最も有名な作品であり、世界でもよく知られています。この見事な作品は背景に富士山が見えますが、主役は沖浪と呼ばれる先がとがり、カーブし、3隻の舟が別々の位置で危険な波に向かっていく巨大な波です。
この作品は単体の波が、日に照らされて輝く海から生まれ、岩場にぶつかるところまでが描かれています。曲は日の光が何千もの細い光に屈折している穏やかな海から始まります。木管群が16分音符の3連符の変奏によって波打つことでそれが表現されています。トロンボーンとホルンによる旋律の提示があり、それにトランペットが加わります。これは大波の最初の形を描いています。このセクションは38小節目でバンド全体がうねりの動きになる時にピークを迎えます。スコアを見ると、メロディーラインとフレーズが五線上を上下しているのがわかります。40小節目から45小節目は音楽が徐々におさまり、最後には2つの楽器だけになります。これは、海から生まれた波が分裂し、陸地にたどり着くまでを表現しています。45小節目から終わりにかけては、最後の大波になる瞬間までの過程を表しています。
※ハープとイングリッシュホルンはオプションです。
IV. 浅草金竜山
栞には「浅草観音寺の雷門」という作品名が記載してありましたが、本当の作品名は「浅草金竜山」、これは歌川広重の作品です。広重はこの作品が収録された連作『名所江戸百景』を二代目歌川広重が完成させる前に亡くなっています。初版は1856年から1859年の間に順次出版されました。
941年に建てられた雷門は、浅草寺総門として駒形に628年頃建立され、1635年に現在の浅草に再建されました。この大きな門は4つの像が祀られています。神道の神である風神・雷神が正面に、仏教の神である天龍と金龍が背面に立っています。風神は東側、雷神は西側に飾られており、元々は「風雷神門」と呼ばれていましたが、いつの間にか「雷門」とだけ呼ばれるようになりました。
門の真ん中に飾られている巨大な提灯は重さが約700kgあります。その巨大な大きさとは裏腹に、大変繊細です。提灯の正面には雷門の名が、裏側には本来の名前である風雷神門の文字が書かれています。提灯の下部には美しい木製の龍の彫刻が飾られています。何世紀にもわたって、門は倒壊と再建を繰り返してきました。現在の門は1960年に建てられたもので、新しい提灯が2003年に寄贈されました。
観光客としては、柵と網に守られているため像に近づくことはできませんし、触ることもできません。それを鑑みても、この門を通った人々やこれから通る人々の何世紀にもわたる証を刻むことで、雷門の荘厳さは未だ際立っています。
※2つの和太鼓のサイズは必ず違うものを使用すること。
V. 蒲原 夜之雪
歌川広重「東海道五十三次」中の「蒲原 夜之雪」を使用した栞から生まれた楽章。
歌川広重(1797-1585)は、1831年に江戸から京都へ御所に馬を納める御馬献上の公式派遣団の1人として東海道を旅しました。旅の風景は、広重に強い印象を残し、彼は旅の途上でも、同じ道を戻った帰途でも、数多くのスケッチを描きました。家に帰りつくと、広重はすぐに『東海道五十三次』の作製に取り掛かり、最終的にこのシリーズは55枚の印刷となりました。これは53の宿場に、出発地と到着地を足したものです。「蒲原 夜之雪」は15番目の宿場です。
歌の形を取ったこの曲は、降る雪とは違うソフトタッチの精神的癒しの柔らかいゆっくりとした進行を歌にしたものです。この作品は、ピアノ、ハープ、アルトフルートのソロで始まります。旋律はシンプルですが、心に残るもので、ゆっくりと奏者が増えていきながら進んでいきます。そして冒頭と同じ3つの楽器のソロで曲が終わりを迎えます。歌の形式をとっており、歌は癒しの柔らかいタッチを表現しています。
【演奏について】
この楽章は視覚的に三重奏(ピアノ・ハープ・アルトフルート)と吹奏楽伴奏になっています。
アルトフルートは尺八で代用しても構いません。パンパイプでも大丈夫ですが、冒頭と終わりだけにしてください。
ハープは琴や三味線で部分的に演奏しても構いませんが、中間部ではハープが必要です。
VI. 箱根
歌川広重「東海道五十三次」中の「箱根宿」を使用した栞から生まれた楽章。
歌川広重(1797-1585)は、1831年に江戸から京都へ御所に馬を納める御馬献上の公式派遣団の1人として東海道を旅しました。旅の風景は、広重に強い印象を残し、彼は旅の途上でも、同じ道を戻った帰途でも、数多くのスケッチを描きました。家に帰りつくと、広重はすぐに『東海道五十三次』の作製に取り掛かり、最終的にこのシリーズは55枚の印刷となりました。これは53の宿場に、出発地と到着地を足したものです。
箱根宿は10番目の宿場でした。標高725mにある素晴らしい景色の広がる最も高地の宿場です。箱根宿は1618年に建てられました。そして何年もの間、その高さゆえに手入れするのが難しい道でした。
箱根について調査を始めた時、私の創作意欲が全く掻き立てられませんでした。ただのカーブとスイッチバックが多い長い道のある街でした。地図で実際の道路を見たら、ピンときたのです。以前この道路を見たことがあったのです。そこで本当に全体の道路の形を思い出しました。
実際の道路をこの目で見たことはありませんが、私はこの謎を紐解かなければなりませんでした。インターネットでより詳しく調べたところ、そこに答えがありました。私は熱狂的な「ゲーマー」で、PCゲームとテレビゲーム問わずどんなタイプのゲームもします。レーシングゲームもよくするのですが、箱根は以前ゲーム内で「運転したことがある」場所だったのです。ゲーム中、私が道路上でドリフトすると、そのほとんどは道路外へ押し出され、宙を舞い、ついには燃えながら転倒して落っこちてしまいます。インターネットでいろいろと探してみると、Youtubeでは1台だけでなく、1列に並んだ長い車の列が箱根を走るために東海道をドリフトしている映像が一見しただけでも無限に存在していました。
【曲について】
「ドリフト」という副題をつけましたが、この曲は狂ったことをしたり、可笑しいことをしたりする速い車への私の愛が反映されています。今回はそれが「ドリフト」でした。ドリフトは、カーブを通る間に、ガソリンと正確なハンドル位置、コントロールされたスリップを続けるというブレーキ操作の芸術です。音楽は、箱根を通って東海道でドリフトする車の興奮したレースと心臓がバクバクする動きを描いています。私なりの音楽でのドリフトです。全壊も激しい事故もないことを祈りましょう。東海道でのドリフトが私の次回来日した際の「やるべきこと」リストになることでしょう。
※ハープとイングリッシュホルンはオプションです。