村松玲子先生×岩手県立不来方高等学校
第44回全日本合唱コンクール全国大会(1991)
岡山シンフォニーホール
高校の部B No.14 岩手県立不来方高等学校音楽部
自由曲:「七つの合唱曲」から I.美しき魂 II.こうもり III.みごとな果実 IV.ダンス (作曲:Ermend Bonnal)
指揮:村松玲子
いつか、あの指揮台に立てたら
初めて全国大会のステージに立ったのは高校時代、盛岡第二高校の2年生の時です。2年、3年と2回全国大会を経験させてもらう中で、高校の音楽教師を志していた私は、生意気にも「いつかこのステージのあの指揮台に立ちたい」という夢を抱くようになりました。
16年越しの夢、33名でBグループへ
東京の大学に進学した後、岩手に帰って教職に就き、3校目の赴任先が不来方高校でした。1990年、開校3年目の年です。赴任の翌年、夢を抱いてから16年目にして、思いがけず「高校時代の夢」を叶えてもらいました。この年は3年生が4名と少なく、1、2年が29名、合わせて33名のメンバー。コンクールのことはまだ何もわからず、人数を削ってAグループに出ようなどということは思いもつかず、そのまま33名でBグループに出場しました。
「ふうらいぼう」は、「こずかた」へ
大会前日の代表者会議では、全日本の役員の先生方も大会スタッフも、誰一人として「不来方」を「こずかた」と読んでくださる方はなく、「ふきかた」から「ふうらいぼう」まで、さまざまな呼び名で呼ばれたものです。「不思議の不(ふ)に、来る来ないの来(らい)、方向の方(ほう)と書いて「こずかた」と読みます。よろしくお願いします。」と挨拶してから34年、今では全国の皆さんが読んでくださるようになったのに、統合によりその名がなくなったことは寂しい限りです。
コンクールに吹いたパリの風は今も
話は当時に戻ります。自由曲は、フランス近代の作曲家ボンナルの、珠玉のような美しい小曲を4曲選びました。およそコンクールにふさわしくないこれらの曲は、若い頃にパリで買ってきた楽譜から生まれたものです。当時のパリの楽譜屋さんでは、楽譜を実際に手に取ってみることができず、カタログでフランス近代のア・カペラの女声合唱作品を片っ端から注文して日本に送ってもらいました。後日届いた楽譜の中にこの組曲があり、「どんな音がするのだろう?いつか演奏してみたい」とパリに想いを馳せたものです。
当時としてはフランス語の作品は斬新な選曲で、クリスタルな響きの不来方サウンドはコンクールに新風を吹き込んだと自負しています。楽譜を手にしてから10年の時を経てようやく音にすることができたこれらの作品は、今では中学生にもアンコンなどで演奏されるようになり、嬉しく思っています。
今なお続く絆
大会の結果は銅賞と、まだまだスタートラインに立っただけの不来方のデビューでしたが、ここから不来方のコンクールの歴史は始まったのでした。当時のメンバーとはたくさんぶつかり合ったものの、歌い続けているメンバーも多く、今でも強い絆で結ばれていることに感謝でいっぱいです。



















