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うたを うたう とき

首都大学東京グリークラブ 植木晃弘さん/うたを うたう とき

珠玉のハーモニー Vol.6~10 収録団体最少、13人のグリークラブ。半分初心者、指揮者なし。存続の危機から全国大会金賞へー。当時の部長・植木さんに伺いました。

2020年10月29日

団員数、4人。存続の危機からコンクール出場へ 

1956年に発足し50年以上の歴史を持つグリークラブですが、2011年には団員わずか4人となり消滅の危機を迎えていました。OBや、学内の合唱団(エリカ混声合唱団)のサポートにより、翌年には11人まで団員が増え、どうにか活動を保っていました。

そんな中、2013年に私たちの代4人が入団。15人となりました。活動は続いていたものの、当時は兼団しているメンバーも多く、練習は週1回。東京男声合唱フェスティバル、定期演奏会以外に本番も殆どなく、どこか物足りない活動でした。

 

2年生になっても相変わらずの毎日でしたが、ある時、団員の一人が「コンクールに出てみる?」と言い出しました。コンクールにはそれまでの歴史の中で一度も出場したことがありませんでしたが、それでも何か目標があった方がいいだろうということで出場することになりました。調べてみると、その時すでに出場申し込みの締切1週間前。慌てて手続きをしました。

ところが、バタバタしているうちに常任指揮者である金川明裕先生への相談・報告がすっかり後回しに。7月のとある本番後、ようやく報告した時に衝撃の一言が待っていました。
「その日、本番が入ってるから振れないよ」

指揮者不在、試行錯誤の日々 

困り果てましたが、それでも学生指揮は勿論のこと、代わりに誰かに振ってもらうという発想もなく、じゃあ指揮者ナシでやろうか、ということになりました。選曲は「どちりな、やりたい」の一言で決定。当時すでに中学生も歌うレパートリーになっていて、いわゆるコンクール受けはしないんじゃないの?という声もありましたが、あまり深く考えずそのまま歌うことになりました。

 

指揮者不在。自分たちで聴きあっては、ああでもない、こうでもないという日々が続きました。その頃には練習回数も増え、活動も充実していました。自分たちの出来がコンクールにおいてどんなレベルなのか、ということは全然意識せず、精一杯、出来ることをやろうとだけ思っていました。ですが、ある先輩はひそかに「これはなかなか良い感じなんじゃないか?」と手ごたえを感じていたそうです。

まさかの金賞、そして全国へ

いよいよ迎えたコンクール本番。会場は府中の森芸術劇場・ドリームホール。2,000人規模のホールです。こんな大きな舞台で歌える機会はそうそうないだろうな…と思いながら演奏しました。心地よい残響に包まれて、気持ちよく歌えました。出来ることは精一杯やりきれました。
表彰式が始まっても、結果は気にせず審査発表を待っていました。そこへ「首都大学グリークラブ、ゴールド、金賞」。え? 金賞って何ですか?? 思わぬ結果に動揺しアタフタする13人にさらなる衝撃が襲いました。
「代表は、首都大学東京グリークラブ」
…ええぇ? 代表って何ですか??? 頭が「?!」で埋め尽くされましたが、どうにか落ち着きを取り戻し金川先生に報告。とても驚いておられたことを思い出します。

金川先生は「全国も俺は振らない。任せる」と仰いました。そうして全国大会も指揮ナシでいくことになりました。

 

いよいよ迎えた全国大会は、ステージへの入場から温かい拍手に迎えられ、ボーナスステージを楽しむような感覚で精一杯演奏しました。有難いことにここでも金賞をいただきました。大会後、金川先生に金賞受賞団体の指揮者に贈られるメダルをかけることができ、嬉しかったですね。

でも実は、課題曲は都大会のほうが上手かったな、と今でも思っています。

全国大会、その後 

全国大会後、大会で出会った北海道大学合唱団からジョイントコンサートに呼んでいただいたり、東北の合唱祭に呼んでいただいたり、地元のイベントに呼ばれたり、嬉しいことに新入部員が増えたりと、いくつかの変化がありました。全国大会金賞も勿論嬉しかったですが、そんな変化こそが一番のご褒美でした。

 

あれから6年が経ちました。大学の名前も変わり、ある意味で「首都大グリー」は幻の団体になりましたが、当時のメンバーとは今も一緒に歌っています。相変わらず指揮者ナシで、ああでもないこうでもないと言いながら。

首都大学東京グリークラブ 植木晃弘さん

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