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1999年のStabat mater

合唱団京都エコー副団長 足立充宏さん/1999年のStabat mater

合唱団京都エコー、最後のコンクール「1999年のStabat mater」について副団長・足立充宏さんに伺いました。歌へのアプローチや込められた想い、そして京都エコーにとっての「歌うことの本質」とは―(対談:2020年9月)

2020年9月17日

合唱団京都エコーとコンクール

 みんなコンクールは好きでした。わずか12分のために長い時間を注いで曲に向き合い、一音一語に魂を込める。詩や作曲家の意図を汲み取り消化して、その上に浅井さんの想いと京都エコーの表現をのせる。時間はかかるけど、面白かったです。

 音楽は誰かと競うものではありませんが、「昨年の自分たち」には負けたくないと思っていました。そうやって自分たちを磨ける場がコンクールでした。出るからには日本で一番の演奏をして、今年の日本の合唱団の最高はこれだと胸を張れるものにしようという思いがありました。おこがましいかもしれないけれど、日本の合唱を牽引する、くらいに思っていました。「今年もエコーさん楽しみにしてます」「目標にしてます」そんな声が嬉しかったのです。

 ただ、連続金賞が15年,16年…と続くうち、どこかで区切りを探していたようなところもありました。自分たちを磨き続けることも好きでしたが、合唱の楽しさを共有することも大切にしたい。浅井さんが2000年春に勤め先の定年を迎え合唱指揮者として活動できることや、全日本合唱連盟における浅井さんの立場、その他色んなタイミングが重なり、「20年連続金賞を成し遂げて、次の京都エコーのステージを創っていこう」と思うようになりました。

歌へのアプローチ

|音楽のつくりかた

 一般の合唱団は、毎日歌い込んで「体で覚える」ことができません。限られた時間で歌うためには頭と心で理解することが必要です。反復で体にしみこませるのではなくて、歌に込められた想いを消化して自分の想いとして歌うことで、伝える。そのために、詩を読み込んだり、歌の背景に深く踏み込んだり、いろんなことをしました。

 例えば詩について。ドイツ語の歌を歌うとき、まずはドイツ語で朗読できるようにしました。ただ単語を発音するのではなく、文章としてネイティブの方に通じるように。意味もわからず歌に心は込められません。そこまでしてやっとフレーズと言葉が生きてきます。

 宗教曲も多く歌いましたが、そのためにミサ通常文も深く学びました。大阪の能勢に、当時よくお世話になった「歌垣教会」というところがあります。そこで合宿をして、礼拝の中で曲にまつわるお説教を聞き、曲に込められた祈りを感じる。そんなことをしてきました。

|指揮者 浅井敬壹と団員

 浅井さんがよく言うのは、「指揮者と合唱団」は1対1ではなく、指揮者と歌い手の1対1の関係の集まりだということ。100人いれば1対1が100組あって、それが集まって合唱団になるという考え方です。フォルテやピアノの表現も、一人ひとりにそれを求めます。京都エコーの特徴でもあるダイナミクスレンジの広さは、そうやって生まれていたように思います。

 浅井さんは本番で、練習ではなかったことをよくします。本番のお客さんの空気を感じながら振る。だから練習の再現をするという意識では歌えません。自ずと団員もそうなります。歌い手なりにお客さんを感じながら「こう歌いたい」という思いを持っていました。指揮者と団員、それぞれがお客さんを感じながらそこでしかできない音楽を創り上げる、そんな一種独特のやり取りをその瞬間瞬間でやっていたように思います。良い意味での緊張感がたまらなかったです。

 「京都エコーは指揮者を見てない」と言われます(笑)。もちろん指揮者は視界に入っていて、浅井さんの表情や手に反応しているけど、ホールいっぱいのお客さんに声を届けたくて歌っているから自然と顔が上がります。それでそんな風に見えたのかもしれません。本番では違うことやってますから、それなりに見てないと歌えないです。

|京都エコーにとっての「演奏」とは

 私たちにとっての演奏は、舞台袖から足を踏み出したところから最後の一人が退場するまでです。直前の舞台袖で祈りを捧げてスイッチを入れ、ステージに出ていく瞬間から音楽創りが始まります。ステージに並ぶことも演奏の一部だと思っていましたから、立ち位置も綿密に打合せして事前に練習していました。並び方も、歌い易さよりもお客さんからの見え方が大切でした。最後列は高さも整えました。ステージの合唱団を見て「ああ美しい」と感じてもらうことで、より一層演奏に集中していただけ、想いが伝わる気がします。

1999年のStabat mater

|選曲について

 歌の本質は「祈り」だと思っています。私たちが歌うときは、ただ技術的なうまさを追求するのではなく、歌の本質である「祈り」を届けたいと思っていました。ですから京都エコーのコンクール選曲は、やっぱり宗教曲が多かったです。1曲を深堀りし、突き詰めて極限まで磨くなら、「祈り」としての歌でそれをやりたい。

 『Stabat mater』は、連続金賞の11年目に札幌で歌ってコンクール大賞を受賞しています。想い入れもあって、いつかもう一度歌いたいなという曲でした。はっきりとは覚えていませんが、20年の集大成として祈りを込めるならこの曲かな、といつしか決まりました。

|最後の一音

 あの曲のラストは、ffまでクレッシェンドして“gloria”と歌いきった後にピアノの音が長く続きます。あの日、そのピアノの音に潜ませるようにppで最後の「アーメン」を歌い終え、ピアノの音を聴きながら、お客さんと、まさしく祈るような姿の浅井さんを見ながら、歌わないその最後の一音に想いを込めていました。

 すべての音が鳴りやんでも、浅井さんの手はなかなか降ろされませんでした。それまでの歌・祈りが会場全体に溶け出して、昇華していくような時間でした。

 そして20年連続金賞を達成し、コンクールでの演奏を締めくくりました。京都エコーの活動そのものにも大きな区切りが付いたように思います。

合唱団京都エコーのこれから

 京都エコーは、あまり先の予定を立てていません。定期演奏会というのも、歌うことがルーティン化してしまいそうでやっていません。1年~2年後を見据えて、あんなことしたい、こんなことできないかと何となく予定を決めて、ボチボチやろかという感じです。

 コンクールで歌うことに区切りをつけてからは、歌う楽しさみたいなものを表現してきました。曲へのアプローチは変わりませんが、コンクールほど1曲を突き詰めることはありません。聴く人に「合唱っていいね」と感じてもらうことが浅井さんの何よりの想いであり、それを伝える演奏をすることが京都エコーの成すべきことだと思っています。

 次に演奏会をやるなら、たぶん2022年、創団60年の節目の年です。記念の演奏会をしたり、団員の故郷を巡って、歌で交流できたりしたらいいなと思っています。

 今まさに練習もままならず目先の目標が定まっていませんが、元々歌うことが好きで集まっていますから、一日も早く好きな歌を一緒に歌えればそれで楽しいし、いつまでも歌っていたいと思います。

合唱団京都エコー・副団長 足立充宏さん

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