富山県立富山商業高等学校 広瀬大輔さん(主将)/急遽自由曲が変更!今から間に合うの??
選曲の理由/選曲時のエピソード:ゴールデンウィークに事態急変
新メンバーでスタートした当初、コンクールの指揮は坪島先生ではなく後任の勝本先生に任せられました。自由曲として選んだのはバッハのトッカータとフーガ ニ短調。自分たちが1年生の時、全国大会で聴いた淀川工業高校の演奏に魅了され今年はこの曲でチャレンジしようということになったのです。
翌年の春には新一年生も加わりコンクールメンバーも固まったゴールデンウィークに事態は急変しました。坪島先生宅に呼び出され「今年はやはり、俺が振る。自由曲は夢枕に今津中学の得津先生が出てきて『今年はショスタコーヴィチの「祝典序曲」をやれ!』と言われたんだよ」と。最初は唖然としてすぐに曲が思い出せなかったのですが、先生がすぐにカセットテープを取り出して今津中学の祝典序曲を聴かせてくれました。その時の自分は坪島先生に指揮をしてもらえる喜び半分、「えっ!今から県大会まで間に合うのか?」という不安が入り混じっていた記憶があります。
練習時の苦労話:先生の指示通り吹けなかったらグランドダッシュ!
練習は合奏、分奏以外は基本的に外で行っていました。毎朝7時から1時間田んぼに向かってロングトーン。冬は雪の積もった厳しい寒さの中でも軍手をしながら、真夏は屋外で麦わら帽子をかぶりながら吹き込んでいました。
自由曲に関しては再スタートを切ったのがゴールデンウィーク明け。キャプテンだった自分は毎日、授業の合間に坪島先生と練習メニューを打ち合わせしていました。祝典序曲は木管パートが主旋律を担当するのでクラリネット、フルート、サックス分奏を徹底的にやって頂きました。同期の木管パートに聞くと「もう、それは血のにじむような毎日で大変だった」と言っていました。先生の指示通り吹けなければ「グランド走ってこい!」が定番のお仕置きで、夕方になると練習場から外に出され「あの夕陽を見ろ。あのような美しい音を出すんだよ!」という青春漫画のワンシーンのようなこともありました。
当時のバンドについて:3年生不在のパートも―
富商は昔からサックス、金管パートは男と決まっていた時代で、経験者でも違うパートにまわされたり、初心者でも頑張ってレギュラーになる者など様々でした。ユーフォニウム、パーカッションパートは3年生不在でしたし短期間で厳しい練習に付いてきてくれた後輩達が本当に頑張ってくれて助けられました。
本番時のエピソード:後にも先にもあんな演奏は出来ないくらい全員が集中
本番の演奏に関してはとても気持ち良く吹けたし、後にも先にもあんな演奏は出来ないくらい全員が集中して練習の成果を存分に出すことが出来ました。
演奏後、坪島先生のところに挨拶に行った時、「良かった、良かった。もしかしたらいけるかもしれんぞ」と滅多に言われたことのないお褒めの言葉を興奮気味におっしゃられ、結果を聞く前に嬉しくなった記憶があります。
結果発表では自分たちの前の団体が金賞8校目となり「あぁもう金賞はないか・・・」と諦めかけていた時「ゴールド!金賞!」発表と同時に客席からもの凄い歓声の中信じられない気持ちで表彰を受けたことが忘れられません。
メンバーのその後:みんな立派な社会人として―
坪島先生には音楽のことはもちろん、いろいろなことを教わりメンバーみんな立派な社会人として活躍しています。また、富山県は社会人吹奏楽も盛んで卒業後進学、就職しても地元で色々な団体に所属し楽しんでいるメンバーが沢山います。
高校で燃え尽きて楽器は吹いていないというメンバーもいますが(笑)