北海道札幌白石高校吹奏楽部OG・梅津有希子さん(ライター)/15期生ご一同様/「マーチ・エイプリル・メイ」の思い出
「マーチ・エイプリル・メイ」の思い出
わたしが3年生だった1993年は、課題曲がすべてマーチの年でした。あらためて自分たちの演奏を聴いてみても、やはり「マーチ・エイプリル・メイ」が一番うちらしさが出せた曲だったなと感じます。
今回、寄稿依頼を受け、「白石のマーチの特徴はなんだろう」とあらためて考えてみました。自分の記憶だけでは心もとないので、同期LINEでみんなにマーチの思い出を聞き、整理した特徴は、「対旋律、中低音、タメ、そして歌心」なのではないかと思います。この曲に限らず全般的にいえることで、これらのことを意識して、“白石サウンド”が成り立っているのだと思います。
たとえば、2回繰り返す最初のメロディは、2回目にテナーサックス、ユーフォニアム、ファゴットの対旋律が登場しますが、繰り返しのときは完全にこれら対旋律が主役。米谷先生はとにかく対旋律を大切にしており、合奏ではいつも「対旋律をよく聴きなさい」。また、リズムを刻む楽器でも「メロディを奏でなさい」「自分たちの裏で何がどう動いているのかを常に理解し、同時に感じながら吹くように」といわれたことを思い出します。そして、ファゴットだったわたしは、この「対旋律の洗脳」により、今でもどんな曲を聴いてもすぐに対旋律に耳がいってしまいます(笑)。
同じく大切にしていたのが、中低音。これらのパートの人数を多めにし、「高音はそのままでも十分届くから、低音になるほど鳴らすように」と、「中低音命」といわんばかりに、しっかりとした厚みを持たせました。低音パートの四分音符の刻みは、「強・弱・中強・弱」と耳にタコができるほどいわれ、気持ち速めにリードするように音符を刻む。オンタイムで刻むと、もっさりと聴こえるためです。
米谷先生は、細かい部分の“タメ”にもこだわりがありました。特にDの低音のメロディは、低音パートが集まって何度もなんどもタメる練習をしたものです。もちろん、タメた分は戻すのが鉄則です。
米谷先生は、声楽の先生だからか、「演奏する」という意識よりも、「歌う」という意識が強かったのではないかと思います。“タメ”や“間”を大切にしていて、まわりからは「米谷節」と呼ばれていたものです。
歌の先生ということもあり、合奏のときは、どんな曲もいつも朗々と歌いながら指導してくれました。たとえば中盤、Eからのメロディ部分だとこんな具合です。
「そうよ~ わたしは~ いもがだ~いすき~なの~」
いま振り返ると「何だこの歌詞は」と思いますが(笑)、明るい米谷先生らしい歌詞だと思います。いもだった理由は、おそらく北海道だからでしょう。みんなで真剣に「いもがだ~いすき~なの~」と繰り返し歌ったものです。
合宿のときには、同じ部分を「今日の~ おかずは~ 石狩鍋だよ~」と歌いながらごはん支度をしていました。いかにも高校生っぽいですね(笑)。そして、石狩鍋という郷土料理が出てくるところが、やはり北海道です。
メロディを吹くパートは、音のニュアンスについても細かくいわれていました。軽く弾むように吹くのか、伸ばし気味で丸く処理するのか。マーチの一番最後の「タラララン♪」は、ホール練習で何度もなんども残響を確認したことを覚えています。
スネアドラム担当は、「スネアが複雑なリズムで、とても変わっていた。米谷先生はおもしろいリズムが好きなので、合奏のときに『1人でたたいてみなさい』といわれてやらされて、満足そうに見ていた」と振り返ります。そうか、先生は変わったリズムが好きだったのか……。いま知った。
そして、もっとも大事にしていたことは、何といっても出だしです。「最初の四小節ですべて決まる」といつもいつもいわれていて、とにかく出だしに命をかけていました。他の団体の演奏を聴いていても、やはり出だしの一発目の音が、その後の印象も左右するように感じます。
改めて聴いてみても、昔から変わらない、先輩たちから受け継がれてきた白石サウンドだなぁ……と思います。
憧れてやまなかった普門館で、大好きな米谷先生と仲間たちと演奏した「マーチ・エイプリル・メイ」は、わたしの一生の宝物です。