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投稿エピソード#15

山崎町立山崎西中学校 前野尚子さん(クラリネット)/生きてきた中で一番濃い一年間…

2020年9月3日

選曲時のエピソード:この曲を本当に私達が??

1998年、中学三年生の春、「今年の自由曲はこれや」楽譜が配られ音源を聴いた瞬間、まだ何の知識もない私達は顔を見合わせ、目が点になったことを覚えています。

 

「この曲を本当に私達がやるのか?できるのか?」

 

そう思った瞬間、怒涛の一年が始まりました。

 

当時部員は一年生14名、二年生9名、三年生20名。計43名と50名満たない人数。

 

その頃、町にはコンビニもない、電車も通っていない、自然豊かな田舎の学校で、学校にある楽器はどれも古く、個人で自分の楽器を持っている者もいない。錆びた楽器をみんな使っていました。

 

三年生がそれぞれの楽器ごとに複数人いたので、木管・金管ともに人数の必要な大編成の曲もできるかもしれない。顧問の尾川祐之先生とご指導に来てくださる先生が課題曲「アルビレオ」、自由曲「交響的断章」を選曲してくださいました。

 

練習時の苦労話:地区大会を突破した経験もない私達―

当時、全国大会に繋がる大編成(A部門)で地区大会を突破した経験もない私達。

 

無我夢中で、朝早くから夕方遅くまで練習しました。

 

学校の行き帰りも楽譜を読みながら通う日々、運動場の端から端まで聞こえるように声が枯れるまでした返事の練習、夏休みも日曜も一日練習、勉強の成績が下がると部活停止にもなりました(校内奉仕作業の日々)。

 

暑い暑い夏、蒸し風呂のような音楽室で音程が合わず、合うまで何時間も進まない。出来るようになるまで合奏に入れない。

 

いいサウンドって…どうやったら合うのか…どう練習したらいいんだろう…

 

毎日、練習後にミーティングを行い、何がいけなかったのか、今日一日どんな練習をしたのか、明日何をすべきか、納得する答えが出るまで妥協は許されませんでした。下校時刻を過ぎ、どの部活よりも遅く、長く話し合いました。

 

支部大会を突破した後、普門館の舞台を想定して音楽室ではバランスが分からないからと先生が別室で音を聞きながら練習したのを覚えています。

 

「音だけ磨いてもあかん!音と心を磨け!」仲間と合わせることの大切さと難しさを痛感しました。

 

当時のバンドについて:中心にはいつも顧問尾川先生の存在―

私達は自分達の力だけで全国大会で金賞を取れたわけではありませんでした。

 

部員43名の中心にはいつも顧問尾川先生の存在がありました。

 

演奏だけじゃない。礼儀、感謝を大切にすること。

 

部活と同時に勉強もおろそかにしないこと。

 

当時、マーチングの全国大会にも出場できることが決まった私達は、運動部が普段使っている運動場の一角を借りて練習していました。辺りが暗くなるとポジションが分からず保護者の方々が車のヘッドライトを照らしてくれ、その明かりで練習。

 

先生は「快く貸してくれる運動部に感謝しなさい。いつもサポートしてくれる家族に感謝しなさい。」と。

 

それと同時に春からたくさんの依頼演奏をこなしました。年間32回。月に4回ほどのペースです。10月の5回、11月の6回は本当に大変でした。

 

こんな田舎の学校にご指導にきて下さる先生、どんな時もずっとサポートしてくれる家族、どこへでも駆けつけて楽器を運んでくださる地元の楽器屋さん、演奏の機会を与えてくださったたくさんの方々、たくさんの経験をさせていただいて、みなさんのお陰で当時の私達がありました。

 

本番時のエピソード:何にも替えがたい瞬間―

本番二日前に東京に行き、二日かけて最後の調整をしました。

 

いやというほど練習してきたアルビレオ、交響的断章は東京での最後二日間の合奏、何度通しても本番と同じタイムでした。先生は普門館の舞台の前日、私たちに手紙を下さいました。部屋に帰って泣きながら読んだのを覚えています。

 

「“かめ”と“あり”になれたことを誇りに思いなさい」

 

「負けそうになる自分に負けないこと」

 

本番当日は気持ちが高ぶっていて舞台でのことをあまり覚えていません。結果発表で「金賞!」と呼ばれたときはただただみんなで泣きました。

 

99%苦しい日々、でも舞台での1%は一生忘れない何にも替えがたい瞬間でした。

 

最後に…:尾川先生と作った市民楽団

2013年冬に当時顧問の尾川祐之先生がご逝去されました。

 

本当に厳しい先生でしたが、私たちはきっと毎日毎日たくさんの愛をいただいていました。

 

生きてきた中で一番濃い一年間…

 

先生のお陰で私は今もクラリネットを吹いています。

 

生前、先生は地元に吹奏楽団を作りたい、とご連絡をくださり先生とたくさんの地域の方々のご協力のもと市民楽団ができました。

 

当時のメンバー数人、また尾川先生に教わってきた教え子たちが今もなおその吹奏楽団で音楽を続けています。

 

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