秋田市立山王中学校 細谷直先生/試行錯誤して目指した弦楽器の響き
選曲の理由/選曲時のエピソード:クラシックの名曲を体験させたい
「技術的に高度であってもそれを見事に吹きこなす中学生が現れ、わかりやすい曲で親しみやすいメロディーが今時の子どもたちの表現意欲をかき立てる」そんな10年前とは少し違った子どもたちの気質の変化を感じ始めた頃でした。それでもクラシックの名曲を体験させたい、しかもわかりやすいきれいなメロディーが出てくる曲。そこで浮かんだのが「ドン・ファン」でした。吹奏楽に向いているとは言い難く、当時まだ中学校で全国金賞はない曲だったので若干の躊躇はありましたが、当時指導を手伝ってもらっていた教え子とも偶然意見が一致したので、これで行こう!と決断しました。
練習時の苦労話:バイオリンの音を作るために...
弦楽器のメロディーが中心の曲なので、どうやって弦楽器のニュアンスを出したらいいか悩みました。子どもたちにも随分無茶を言ったと思います。卒業してからの同窓会で一人の教え子が「『ピッコロとフルートとクラリネットとサックスを合わせてバイオリンの音を作れ』と言われて、正直『そんなことできるのか?』と思いながら吹いてました」と笑いながら話してくれました。イメージすることで音は変わってくると今でも信じていますが、子どもたちには難儀をかけたと思っています。
当時のバンドについて:研究熱心な3年生が揃い―
この年の部員は70人、数年前には部員が減って1年生まで含めて全員でコンクールに出場した年もあったのですが、また、安定した数の部員が入部してくれるようになっていました。研究熱心な3年生が揃っていて、「ドン・ファン」について色々調べて勉強会を開くなど、自ら演奏を深める努力をしていました。そして、この年の11月に今の新校舎が完成して引っ越しをしました。数々の歴史を作り上げてきた旧校舎の音楽室で練習した、最後の年となりました。
本番時のエピソード:新潟中越地震の日
全国大会ではいつも田無のホテルにお世話になっていました。練習は保谷、小平、府中、三鷹、武蔵野のホールなどで行ってから普門館に向かっていました。その年は午後の部の出番でしたので、当日も含めて小平市のホールで3日間練習しての本番でした。奇しくもこの日「新潟中越地震」が発生しました。閉会式前のステージ裏で、巨大な舞台設備がゆらゆらと揺れて恐ろしかったのを今でも覚えています。
メンバーのその後:進んだ道はそれぞれ違うが―
この年の部長(パーカッション)は音楽大学に進学して、現在フリーの奏者として活躍しています。副部長(サクソフォーン)は高校から合唱を始め、現在声楽家として様々なオペラに出演しています。塾の講師、保育士など、進んだ道はそれぞれ違いますが、「心から心へ」を合い言葉に、仲間と共に一つの目標に向かって努力した日々が、何らかの形でその後の人生の糧となっていることを祈っています。