「音楽教師、最後の10年」:吉田 寛 先生 第11回 『音楽教師の価値 数十年先に生きる生徒のために』
音楽の教師として私は何を残せたのか?悩む先生に一通の手紙が届く。
あと少しで、高校の音楽教師としての身分がなくなる。朝起きても行くべきところがなくなるのだ。
音楽の教師として私は何を残せたのか?
川越高校では教育課程が変わり、今年、久々に3年の音楽の授業が復活した。私が赴任した頃と比べ、学校は進学指導に重点を置くようになった。生徒は以前より強く現役合格を求められ、勉強のプレッシャーは想像以上だ。3年になり「音楽なんて、進学に役に立たない授業をなぜやらせるんだ」と考える生徒が出てきてもおかしくはない。
こういう進学校で芸術の教科はどう思われているのだろうか? そんなことを考え、音楽教師としての自分の価値に迷い、気持ちが揺れていた。
そんなとき、川高10回生(1958年卒業)のMさんと、ひょんなことから2度ほど手紙のやりとりをすることになった。Mさんは川高音楽部初代顧問の牧野統先生に、授業で音楽を教わったという。Mさんからの手紙の中に次のような一文があった。
『私達のように社会での役割を終え、引退して気儘な毎日になると、高校時代に当時の牧野先生から受けた音楽の知識・情操・感性が、結局一番役にたち、生活を豊かにしてくれています。書道や美術の人達も同じでしょう。吉田先生の音楽の授業や音楽部指導は、受験勉強に一生懸命な生徒達にとって、今日現在の心のバランスをとる上で大切であると同時に、遠い先の老後の心豊かな人生の糧となるものです。ただ、その事に生徒が気がつくのは数十年先なので、先生にその感謝が伝えられることは稀であり、それが先生というお仕事の宿命なのかもしれません。従って、私が今、牧野先生を熱く想うのと同様に、吉田先生が見えない所で、先生とその言葉や授業を懐かしく思い出し、語り、感謝している教え子が沢山いることを信じて、どうか毎日のお勤めにご精励ください。 平成25年10月31日』
全くの偶然なのだ。Mさんにそんな話など全くしていないのに、私の揺れる気持ちを吹き飛ばしてくれるような手紙をいただいたのだ。不思議である。
それからの3年の授業は実に楽しかった。みんな楽しそうに授業を受けてくれた。余談も盛り上がって聞いてくれた。偉大な牧野統先生とは違い、私はどこにでもいるような教師であるが、50年後を想いながら授業を終えることができた。
それにしても不思議だ。10年前、突然の川越高校への異動も。自分の音楽に自信を失い、心が折れそうになったときのAさんのゲストブックへの感想も。そして定年を間近に、音楽教師として悩んでいた自分に光を与えてくれるようなMさんからの手紙も。
不思議に思える。目に見えない何かに導かれたり、守られたりしているような気がする。
人生での役割がほぼ終わったと感じてしまう自分がいる。4月からまた何かに導かれて、何かをすることがあるのだろうか。それとも静かに暮らしていくのか。
誰かの役に立ちたいという気持ちは、まだある。自分にとって一番良い人生の後半が待っていることを期待しよう。待っていたものを素直に受け入れようと思う。
元・埼玉県立川越高校音楽部ー吉田寛先生