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「音楽教師、最後の10年」 元・埼玉県立川越高校音楽部ー吉田寛先生

「音楽教師、最後の10年」:吉田 寛 先生 第10回 10年目『ラストイヤー② 最後のコンクール』

例年以上の手ごたえを感じて迎えたコンクール。ラストイヤー、もう一度全国へ―

2018年9月27日
 

 さて、自由曲に取りかかるのが遅れてしまったコンクール。時間が無いということを部員達も自覚したためか、緊張感をもって練習に取り組めたからなのか、はたまた久しぶりの日本語の曲だったからなのかわからないが、曲のイメージを良くつかみ、荒削りではあるが気持ちの伝わる演奏に仕上がっていった。

 なんといっても1年生の時あれだけ不安な演奏をしていた現3年生が、どんどん上手くなってきたことに驚いた。


 合宿の時、課題曲を学年ごとに歌わせたのだが、人数の少ない、13名の1年生は「よく頑張って歌っているなぁ。」という印象、人数の比較的多い22名の2年生は「かなり良く歌っている。音量もしっかり出て、3年生より上手いかもしれないぞ。」と。そして16名しかいない3年生は「音楽表現も、声量も2年生を遙かに超えた演奏で、やはり川高の音楽部の音楽はこの3年生が作っているのだ。」と思わせる演奏だった。

 県大会はなんと1位金賞で知事賞までもらえたのである。全国を狙える大きなチャンスが巡ってきたとみんなが感じたことだろう。私も同じ思いだった。

 関東大会までの間、くすのき祭(川越高校の文化祭)があり、全ての時間コンクールに集中することはできない。1・2年生にとっては自分たちだけで企画し、準備して歌う初のステージ(音楽室での発表ではあるが・・・)となる重要な行事だ。毎年のことではあるが悩ましい。

 しかし時間がない中、自覚を持った練習ができ、今のこの生徒達が持っている技術力ではこれ以上の表現はできないのではないかと思えるレベル近くまでの演奏が出来るようになった。みんなの気持ちがひとつになっていることをひしひしと感じたのだ。

 本番では練習以上のよい演奏をしてくれるはずだという期待もあった。練習ではどんなにしっかり集中しているつもりでも、本番という環境が作り出す一点集中には及ばない。


 そして関東大会では、期待を裏切らない本当にみごとな演奏をしてくれた。詩の持つ世界をあますところなく伝える演奏ができたと自負している。

 演奏終了後、生徒達も私も満足した晴れ晴れとした気持ちになっていた。練習段階の演奏しか聴いていない桑折先生も「あの自由曲は名演です。録音を大切にするように」と私にメールをくれた。関東大会の演奏はそれ以上の演奏だった。

 前出のK先生も練習段階の演奏を聴いて、「全国で金が狙える演奏です。」とおっしゃったほどである。会場の聴衆も集中して聴いており、演奏終了後「すごいね」という言葉が あちらこちらから聞こえてきたそうだ。「うまいね」ではなく「すごいね」という言葉は私たちが今回の演奏で目指していたものだった。やりきった。


 しかし結果はB部門5位、次点で全国大会には進めなかったのである。満足感とくやしさと複雑な気持ちだった。 【サリム自伝】という曲はベトナム戦争時の、「ソンミ村での大虐殺」を題材にして書かれている。歌詞にはこう書いてある。「平和のために人を殺す。」「人を殺すためではないが人を殺すのである。」 ソンミ村では一般の村人が虐殺されたのだ。平和のためという理由を後からつけるのである。戦争は人を殺す。人間が人間ではなくなる異常な状況になる。憎しみの連鎖を生む。

 日本は戦争をしない国であり続けなければいけないと思う。それが危うくなっている今、全国大会でこの曲を歌いたかった。歌わなければいけないと思っていた。


 関東大会の審査員のうち、全国大会の審査員にもなっている先生からは2位評価をつけていただいた。また1位をつけてくださった先生からは、「圧倒的に気持ちが伝わってくる素晴らしい演奏でした。あれは名演です。」と言われた。生徒も私も絶対全国大会に行くぞという強い気持ちを持っていたのだが、思いかなわずだった。


 「吉田先生を全国に連れて行けなかったことがくやしい。」と生徒に言われた。君たちは十分頑張った。私も頑張った。でもうまくいかないことはあるのだ。現実は甘くはないという現実をつきつけられたということだ。でも頑張ったことは無駄ではなかったはずだ。満足感が得られるほどの演奏ができたことはとてもすごいことだと思う。

 教員生活最後の年に全国大会で金賞をとる。上手くいったらかっこよすぎで、手を伸ばせばつかみ取れそうな所まで来た途端、目の前からパッと消えた感じである。

 しかしこんな夢を見ることができたのも君たちのおかげだ。夢ではなく実現可能な目標だと思えるところまで近づいたのだから。SVECは12人のグループと22人のグループに分かれて参加した。私にとっての最後のコンテストであったが、結果は2グループとも銀賞。有終の美を飾って去るというかっこよさは、私にはやはり似合わないらしい。

元・埼玉県立川越高校音楽部ー吉田寛先生

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