「夢の舞台-普門館」 藤川洋先生
普門館の思い出
「普門館」は私にとって常に「憧れの場所」であり、「あの黒いステージに立ちたい」というのが、当時何の取り柄もない中学1年だった私が初めて抱いた「夢」でした。
普門館に初めて足を踏み入れたのは、高校1年生の秋。別次元の圧倒的な演奏の数々にただただ驚くばかりでした。それ以来、ほぼ毎年秋の恒例行事のように「憧れの場所」を訪れました。今でも忘れられないのが、2006年の全国大会高校の部です。ここで埼玉栄高校の演奏する歌劇「トゥーランドット」は衝撃でした。演奏が終わった瞬間の感動と大歓声に、身体の震えが止まらなかったことを今でも覚えています。
「夢」が現実に
2007年、私は自分の出身中学校である湯沢南中学校に赴任し、ついに「夢」が現実のものとなりました。自分が初めて「夢」をもつきっかけとなった吹奏楽部で、17年後に夢を叶えることができるとは思ってもいませんでした。湯沢南中学校にとっては、これが26年ぶりの普門館となりました。
全国大会前日の練習を終え、私と生徒は普門館の下見に向いました。これまで何度も足を運んできた普門館でしたが、「翌日本当にあのステージに立つんだ」、と考えると、改めてあの大きさに圧倒され、喜びよりも不安が増していきました。この年、自由曲として選んでいたのは、前年に自分が普門館で衝撃を受けた歌劇「トゥーランドット」。周りを歩きながら、前年の埼玉栄高校の演奏が頭の中に鮮明に蘇り、さらに不安が増しました。そんな弱気になるばかりの顧問とは反対に、生徒は「憧れの普門館」を直に見て、大盛り上がりでした。
大会当日、普門館の駐車場から誘導され、楽器搬入し、ロビーにて生徒が楽器準備をする光景を見ながら、これまで聴衆の一人として目にしてきた自分が見られる側に立っていることに不思議な感じがしました。チューニングを終えて、初めて足を踏み入れたステージ裏。「広い」とは聞いていたものの、予想以上の広さに驚きながら、これまで足を踏み入れることができなかった場所にいることに1人興奮していました(笑)前の団体が終わり、いよいよステージに入場、わけがわからないうちにセッティングが完了し、これまで客席に何度も耳にしてきたアナウンスをステージ上で聞き、さらに感動。そして、埋め尽くされた客席と独特のきらきら輝いた天井、自分の目の前に広がった景色を見て、「17年間抱き続けてきた夢」が叶ったことを改め実感しました。
生徒の方を振り返ると、生徒たちは自信に満ちた良い表情でこちらを見ていました。さらにここからの12分間は、それまで29年間生きてきた中で最も幸せな時間でした。「誰も寝てはならぬ」のASaxソロの音だけが会場に残った瞬間に今まで体験してことのない不思議な空気を感じました。そして、フィナーレに突入したときは、これで終わってしまうという寂しさ、この時間が一生続けばいいという願い、想像できないほどの成長を遂げた生徒たちの偉大さ、生徒たちの最高の演奏を一番近く聴いている幸福感など、様々な思いが走馬灯のように頭を駆け巡りました。演奏が終わった瞬間の歓声と拍手は今でも私の目と耳に焼き付いている最高の宝物となっています。
「夢の舞台-普門館」
こんな私にとっての「夢の舞台-普門館」がこの秋に取り壊されるというニュースが今年になって飛び込んできました。きっと普門館と出会わなければ、これほど吹奏楽にのめり込むこともなかったでしょうし、今、こうして中学校の教員をして生徒たちと一緒に授業や部活動をしていることもなかったでしょう。「普門館」のおかげで今の自分がある、とも考えられます。そんな「普門館」に心から「ありがとう」という感謝の言葉を伝えたいと思います。
元湯沢市立湯沢南中学校 藤川洋先生