伊藤康英/Gr.3/06:00
♪詳細情報♪
作曲:伊藤康英(Yasuhide Ito)
演奏時間:6分00秒(約)
グレード:3
主なソロパート: Flute
Trp.最高音: 1st:Ges 2nd:F
最少演奏人数:20名
編成:吹奏楽
販売形態:販売楽譜(スコア+パート譜)
演奏時間:6分00秒(約)
グレード:3
主なソロパート: Flute
Trp.最高音: 1st:Ges 2nd:F
最少演奏人数:20名
編成:吹奏楽
販売形態:販売楽譜(スコア+パート譜)
▼楽器編成▼
Piccolo
Flute
1st Clarinet in B♭
2nd Clarinet in B♭
3rd Clarinet in B♭
1st Alto Saxophone in E♭
2nd Alto Saxophone in E♭
Tenor Saxophone in B♭
Flute
1st Clarinet in B♭
2nd Clarinet in B♭
3rd Clarinet in B♭
1st Alto Saxophone in E♭
2nd Alto Saxophone in E♭
Tenor Saxophone in B♭
1st Horn in F
2nd Horn in F
1st Trumpet in B♭
2nd Trumpet in B♭
1st Trombone
2nd Trombone
Euphonium
Tuba
2nd Horn in F
1st Trumpet in B♭
2nd Trumpet in B♭
1st Trombone
2nd Trombone
Euphonium
Tuba
Timpani
Percussion Ⅰ
Percussion Ⅰ
Snare Drum
Tom-tom
Suspended Cymbal
Bass Drum
Percussion ⅡTom-tom
Suspended Cymbal
Bass Drum
Glockenspiel
Xylophone
Suspended Cymbal
Triangle
Xylophone
Suspended Cymbal
Triangle
♪楽曲解説♪
西洋音楽、ことに古典的な音楽を構成する上で最も美しい形式はソナタ形式である、と私は思う。さらにフーガのような多声部の音楽もまた、西洋音楽の大きな実りである。それらを取り入れてこの曲を書いた。したがって、演奏に際してはソナタ形式とフーガについてよく研究されたい。 この作品の「課題曲」たる所以は、まさにそこにある。
1996年度全日本吹奏楽コンクール課題曲である。曲の分析さえできていれば、つまり、作品を理解できていさえすればそんなには難しくはないはずである。コンクールが終わった今、この曲の詳細な分析、また、作曲に際して私が考えたことを少々に書き記しておきたい。
まず、純音楽を書きたかったということ。なぜか近頃は標題的な音楽、つまり、かっこいいタイトルが付せられた作品が多い。で、何となくその雰囲気に呑まれて演奏してしまいがちだ。
だが、私はそれとは立場を異にする。やはり、純粋に音だけを見つめていたいと思う。それが、たとえば何らかの具体的なイメージを喚起するのならばそれはそれでよい。私の『ぐるりよざ』でさえ、標題音楽ふうではあるが、私はその標題を明らかにはしていない。純音楽と受けとることすら可能である。 そんな考えからソナタやフーガを選んだ。
これらの形式について音楽書を繙くと、いろいろと難しいことが書いてある。だが、それらの本質は何だろう。
この曲は6分の作品である。たとえば、歌謡曲などの単純な歌ならば3分程度であり、まあ普通にメロディを2番なり3番まで歌えば、それで済む。だた、6分ともなると、何かそれを構成するポリシーが必要だ。今までの課題曲では、そう、何らかの課題を課すために様々なシーンが盛り込まれ、接続ふうの纏まりのないだらしない作品が多かった、が、やはり、筋の通った音楽を作りたい、と思った。
まず主題がある。これを徹底して展開する。展開、ということはつまり、音楽の興味を持続させるために主題に手を加えることだ。人はまず主題を聴く。それが記憶にとどめられる。それを、同じく繰り返してばかりいたらつまらない。そこで何らかの変化が求められる。
西洋音楽では、一つのみの主題による作品というのは数少ない。その主題に対し、必ず対立する主題が現れ、二元的に音楽が構成される。
要するに、音楽が、一貫した流れの中にどう変化していくか、これを見つめていれば、ソナタ形式もフーガも、なんでも分析できるのだ。
1996年度全日本吹奏楽コンクール課題曲である。曲の分析さえできていれば、つまり、作品を理解できていさえすればそんなには難しくはないはずである。コンクールが終わった今、この曲の詳細な分析、また、作曲に際して私が考えたことを少々に書き記しておきたい。
まず、純音楽を書きたかったということ。なぜか近頃は標題的な音楽、つまり、かっこいいタイトルが付せられた作品が多い。で、何となくその雰囲気に呑まれて演奏してしまいがちだ。
だが、私はそれとは立場を異にする。やはり、純粋に音だけを見つめていたいと思う。それが、たとえば何らかの具体的なイメージを喚起するのならばそれはそれでよい。私の『ぐるりよざ』でさえ、標題音楽ふうではあるが、私はその標題を明らかにはしていない。純音楽と受けとることすら可能である。 そんな考えからソナタやフーガを選んだ。
これらの形式について音楽書を繙くと、いろいろと難しいことが書いてある。だが、それらの本質は何だろう。
この曲は6分の作品である。たとえば、歌謡曲などの単純な歌ならば3分程度であり、まあ普通にメロディを2番なり3番まで歌えば、それで済む。だた、6分ともなると、何かそれを構成するポリシーが必要だ。今までの課題曲では、そう、何らかの課題を課すために様々なシーンが盛り込まれ、接続ふうの纏まりのないだらしない作品が多かった、が、やはり、筋の通った音楽を作りたい、と思った。
まず主題がある。これを徹底して展開する。展開、ということはつまり、音楽の興味を持続させるために主題に手を加えることだ。人はまず主題を聴く。それが記憶にとどめられる。それを、同じく繰り返してばかりいたらつまらない。そこで何らかの変化が求められる。
西洋音楽では、一つのみの主題による作品というのは数少ない。その主題に対し、必ず対立する主題が現れ、二元的に音楽が構成される。
要するに、音楽が、一貫した流れの中にどう変化していくか、これを見つめていれば、ソナタ形式もフーガも、なんでも分析できるのだ。
(伊藤康英:楽曲解説より抜粋)