交響的カンタータ「展覧会の絵 」二台八手ピアノ、サクソフォーン四重奏、混声合唱と吹奏楽のための【スコアのみ】/M.P.ムソルグスキー(伊藤康英)【吹奏楽販売楽譜】
- 在庫
- 在庫わずか
- 商品コード
- NAS-BT423A
- JANコード
- 4995751817877
- メーカー
- イトーミュージック
♪詳細情報♪
編曲:伊藤康英(Yasuhide Ito)
演奏時間:35分00秒 (約)
グレード:6
主なソロパート:Saxophone Quartet /Chorus /Piano 1,2
Trp.最高音:1st:High C / 2nd:High C / 3rd:F
演奏最小人数:50人
編成:吹奏楽、二台八手ピアノ、サクソフォーン4重奏、混声合唱
販売形態:レンタル楽譜
▼楽器編成▼
Piccolo
Oboes 1,2
English Horn in F
Bassoons 1,2
Clarinet in E♭
Clarinet in B♭ 1
Clarinet in B♭ 2
Clarinet in B♭ 3
Alto Clarinet in E♭
Bass Clarinet in B♭
Contrabass Clarinet in B♭
Alto Saxophones in E♭ 1,2
Tenor Saxophone in B♭
Baritone Saxophone in E♭
Horns in F 3,4
Trumpet in B♭ 1
Trumpets in B♭ 2,3
Trombones 1,2
Trombone 3
Euphoniums
Tubas
Contrabasses
Percussion 1
Percussion 2
Percussion 3
Percussion 4
Percussion 5
Saxophone Quartet
B♭Soprano(also Eb Alto)
E♭Alto
B♭Tenor
E♭Baritone
Harp
Piano 1
Piano 2
混声合唱
♪楽曲解説♪
この作品は、ムソルグスキー作曲の組曲「展覧会の絵」をベースに、さまざまな言語のテキストの合唱が、戦争や平和を歌い上げるカンタータに仕立てたものである。こういう作品を作った経緯などは次のとおりである。
「展覧会の絵」は、ぼくはあまり好きな曲ではなかった。何より音楽の唐突な変化や、貧弱そうに思える構成感や、音楽のいびつさが気に入らなかったのだ。それでも、いつかはこの曲を吹奏楽に編曲しなくては、と思った。なぜならば、オーケストラの世界にはラヴェルの名編曲があるが、吹奏楽の世界には、そのラヴェルをもとにした編曲がほとんどだったからだ。オーケストラを聴くより吹奏楽版できいたほうが面白い、そう言われるような編曲があったなら、吹奏楽はオーケストラに追随するジャンルではなく、対等の立場に立てるのではと思ったからだ。如何にしてラヴェルを打倒するか。ラヴェルより優れたものが作れるか、と永らく思案していた。
さて、2005年に、たまたまこの曲を編曲してくれという依頼が入った。さまざまなプレイヤーが登場するコンサートで、最後に全員で演奏するために、ということなのだが、その編成たるや、シエナ・ウィンド・オーケストラ、トルヴェール・クヮルテット、東京混声合唱団(大阪での初演では、大阪音楽大学カレッジ・オペラハウス合唱団)、さらにはシュー・ツォン、田部京子、ハエ=スン・パイク、横山幸雄というピアニスト4名というものだった。これは面白いものができるかもしれないと思った。なにしろ合唱が入ったら、そのサウンドたるや壮麗なものになるに違いない。
ところが、合唱が入るからには、テキストはどうする? という問題にぶち当たった。理想としては、ロシア語で誰か作詞してくれればよいのだけど、あいにくぼくはロシア語のアーベーヴェーすらちゃんと読めない。それではドイツ語? いや、そういえばこの原曲には、いろいろな言葉でタイトルが付けられているじゃあないか。そこでテキストは、自ら様々な詩人のものから採ることにした。
たった一つの地球の上に、さまざまな世界(国)がある。世界をも一つに(自分のものに)しようとしたために戦争が起きたのではないか。世界にはさまざまな人がいる。さまざまな国がある。それを互いに理解しあうことこそが、ほんとうの意味で世界が一つになる(=平和になる)ということなのではないか。
たとえばの話、大阪でエスカレーターに乗ると、みんな右側に立っているんですね。東京だったら左側だ。そんな瞬間、ふと自分は違う国に来たような錯覚に陥る。そうか、大阪は違う国なんだ。面白いなあ。そう気がつき始めたときに、大阪の面白さがほんとうにわかり始め、理解しあうことができる。日本にだってさまざまな国があって、みんな違うのだ。これをモットーとして、戦争のこと、平和のこと、さまざまな言語による詩を集めてきた。
「古城 (Il vecchio castello)」からは、杜甫の「国破れて山河在り」の五言絶句が連想された。ゲーテの詩も使いたいと思った。シューベルトの「冬の旅」に出てくるミュラーの一節も、恐ろしくも気がかりな言葉だった。ベートーヴェンが第9交響曲で使ったシラーの詩も使いたかった。(ベートーヴェンは、シラーの詩全部を使ったわけではなく、部分的に、それも順を入れ替えたりもしている。それならば、と私も、この詩から気に入ったフレーズを選び出した)。ラテン語で原タイトルが書かれているでは、ラテン語の格言を当てはめたかった。それらを、冒頭に歌われる日本語「地球は一つ」というという言葉で括りたかった。そうして、4つの言語、10人の詩人(+1人)が集まった。
さて、吹奏楽部分の編曲に際して、一つ気がついたことがあった。これまで、ラヴェルを意識して、ラヴェルよりいいものを、とか、ラヴェルがこうやったからその方法は避けなくては、といった考えが間違いだということ。つまり、ラヴェルは関係ありません、という方法を採るべきなのだ。これまでにもこの曲の吹奏楽編曲はいくつかあっただろう。ラヴェルを意識するあまり、そしてラヴェルに反駁すべく、突拍子もない楽器に役割を与えるなんてことは愚の骨頂だ。たとえば冒頭は普通に考えたらトランペットのファンファーレだろう。ならばトランペットに置けばいい。おや、ラヴェルもトランペットなんだ。それでいい。
もう一つ。この曲を編曲していて、ロシアの大地のムソルグスキーの、力強い声に呪縛された感じがした。ラヴェルのオーケストラ編曲が「フランスふう」と評されているが、ようやくその意味が分かったような気がした。吹奏楽で表現することで、ムソルグスキーのかなり乱暴でさえある声に忠実に従えると思う。
初演は、2005年9月27日、大阪のザ・シンフォニーホールにて、本名徹次氏の指揮。
2010年版の初演は2010年11月27日、洗足学園音楽大学グリーン・タイ ウィンド・アンサンブルのコンサートにおいて、洗足学園音楽大学合唱団(合唱指揮:辻秀幸氏)の協力を得て、初演と同じ本名氏の指揮にて。また、12月19日には、洗足学園音楽大学の「合唱の祭典」にて、伊藤康英の指揮にて再演。
2010年版に際していくつかの改訂を施した。誤謬を正したのは言うまでもないが、他にハープ・パートを加えたこと、韓国語の詩を追加したことである。
戦争や平和を考えたときに、今、韓国と北朝鮮との問題は避けては通れない。そこで韓国語の詞を追加しようとしたときに、1945年に拘留先の日本で非業の死を遂げた若い詩人・尹東柱を知った。北朝鮮の問題もさることながら、戦時中の日本と朝鮮半島との軋みも、我々日本人の大きな過去である。この詩人の、最も知られている詩から引用し、新たに合唱パートに追加することとした。時あたかも、終戦からちょうど65年の暑い日に、平和への祈りを込めて。
(2010年8月15日 伊藤康英)