金光八尾高等学校 コンクールメンバーの皆様/舞台上で見た先生や仲間たちの顔、客席の風景

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投稿エピソード#23

金光八尾高等学校 コンクールメンバーの皆様/舞台上で見た先生や仲間たちの顔、客席の風景

2020年9月3日

選曲の理由/選曲時のエピソード:淀工の素晴らしい演奏に憧れ―

竹淵 博敏さん(トランペット)※以下、竹淵さん(Tp)
 “憧れ“の淀工が前年に演奏した曲で、まさか自分達が翌年演奏するとは思っていませんでした。その“憧れ“に少しでも近づこうとビデオテープやカセットテープが擦り切れる程、聴き、とにかく精一杯、がむしゃらに練習しました。

徳山 奈美さん(オーボエ/部長)※以下、徳山さん(Ob)
 自由曲の選曲は、メンバーも顧問の先生も、その年は「大阪俗謡」しかない、という決まり方でした。目標としていたバンドが前年度素晴らしい演奏をされていたのも大きかったかもしれません。
 一方、課題曲のマーチにも強いこだわりがありました。日頃からマーチを素敵に演奏することの難しさを感じていましたが、この年の課題曲を、躍動感を持って爽やかに演奏すること、聴いてくださっている方々がウキウキするようなマーチを目指して選曲しました。

 

練習時の苦労話:お祭りに出かけてイメージトレーニング!

細見 靖裕さん(イングリッシュホルン)※以下、細見さん(E.Hr)
 日々の練習は苦労の連続だったはずが、今は楽しかった思い出しかなく、この曲ならでは祭囃子の主役打楽器達、チャンチキ・鈴・締め太鼓の準備のお手伝いや、更には天神祭りへ出掛けてのイメージトレーニング、辛かった苦労は時と共に忘れ去りました。(笑)

徳山さん(Ob)
 顧問の片木先生が言っておられたのが、「毎回機械のように同じ演奏をするのではなく、自分の耳で聴き、考え、自発的に演奏すること。そういうものに人は感動する。」ということでした。決まりきったものではなく、そういう柔軟性を持った演奏をすることを目標に、日々の基礎練習、全体練習でのハーモニー合わせやセクション練習をしていたと記憶しています。練習だけでなく、スコアなどの読み込み、曲のイメージを掴むために実際のお祭りに行ったり…。自発性を養うためだったのか、日々の練習スケジュールや練習内容も部員で考えて決めていました(もちろん、先生にはめっちゃダメ出しされてましたけど汗)。

 

当時のバンドについて:個性豊かな大所帯だったが一丸となって―

細見さん(E.Hr)
 当時私は高校2年で、3年の先輩方は心強い個性豊かなメンバーの集まりで、当時バンドへの入部希望者も増え実力のある1年生も集まる大所帯でありながら、部員全員で目指す全国大会への意識が日に日に高く、メンバー一丸で仲良く、いい演奏を目指して練習が出来る活動を行っていたそんなバンドでした。

徳山さん(Ob)
 とにかく部員数が多く大所帯でしたから、毎日何か思いもよらない問題やハプニングが起きていました!部員たちは個性豊かで、それぞれがはっきり意思表示しますから、大騒ぎです。でもそれだけ人がいると自然に役割分担して問題解決したりして。当時私は部長でしたが、まとめるのに苦労した思い出はありません。後輩たちを含め、周りが上手くフォローしてくれていたのでしょう。

 

本番時のエピソード:コンクールメンバー以外の仲間・保護者に支えられ―

竹淵さん(Tp)
 本番当日、午前3時に起床で八王子の宿舎を出発し6時から東京朝鮮中高級学校の体育館をお借りして最後の練習をしました。音出し後、各パート、セクションで各々が重要な部分の確認を行い『合奏!』の声で50人の音が一瞬で静寂に変わり速やかに配置に着きます。
 でもその時だけはTpのSt.Muteの『俗謡』の特徴的な3和音だけが数回鳴り続きました。
 『まだや!』『もう1回!』『ラスト!』『よっしゃ??』と言葉にはしませんでしたが合うまで諦めませんでした。3人だけが遅れて着席しました。待たせていた先生やメンバーも何も言いませんでした。
 本番前の練習場からバス2台と打楽器を積んだトラックでの移動が交通渋滞で受付時間ギリギリになってしまいました。『急いで打楽器を降さないと本番に間に合わへん??』とにかくみんな必死でした。結果、通常30分かかるところが10分程で完了しました。どうやって降したのか全く覚えてません。覚えているのは何事も無かったかのように楽器を持って整然と並んでいるメンバーの姿と手続きを済ませて、そこに現れた少し驚いた表情の先生の姿だけです。

永野 早紀さん(クラリネット)
 当時私は1年生でしたので練習時から先輩方についていくのが必死でした。
 舞台袖では緊張でドキドキしていましたが始まると緊張がほぐれアッという間の12分間でした。Picc、Fl とE♭Clの先輩方が頭の音を練習から本番直前まで何度も合わしていて本番では頭も最後も完璧に合い片木先生が客席に見えないようにニッコリとOKサインを出していた事がすごく印象的で今でも覚えています。

徳山さん(Ob)
 何せ初めての全国大会で舞台に上がるまでの段取りが大変だったので、演奏自体のことはあまり覚えていません。ただ、初めて演奏する普門館の舞台にもかかわらず、最初の音から力まず、会場の響きに上手く馴染んだような感覚はありました。舞台上で見た先生や仲間たちの顔、舞台から見た客席の風景は今も鮮明に覚えています。
 コンクールメンバーではなかった部員たちがメンバーを支えてくれたことや、保護者や関係者が貸切バスで大阪から応援に駆けつけてくれたこと、そういう想いも一緒に舞台に上がって、聴いてくださっている方々に何か届いていたのだとしたら、それこそが当時の私たちが目指していたものだと思います。

 

メンバーのその後:OBバンドやプロ奏者として―

竹淵さん(Tp)
 卒業後のほとんどのメンバーは高校時代あれだけ毎日吹いていた楽器に触れる事もないようでしたが、OBバンドとして年1回夏に地元の吹奏楽フェスティバルで演奏する機会がありました。仕事や家庭の合間を縫って練習。転勤、結婚、出産でメンバーが減ったかと思うと子連れで復帰して練習場が子供だらけだったり、練習してないのに大人になってから何故かウマくなってたり…。本番よりも「練習」を楽しんでました。

徳山さん(Ob)
 あれから30年ですので、見た目は変わりました(笑)久しぶりに会えば一瞬であの頃のテンションに戻ります。私はその後、日本とドイツの音楽大学を卒業し、プロのオーケストラ奏者になりました。演奏活動はもちろん、後進の指導も大切にしています。吹奏楽コンクールの審査員をさせていただく機会もありますが、聴いていると当時のことを思い出し、あの頃吹奏楽を通して学んだり感じたりしたものが今の自分の礎になっているなと思います。
 今、吹奏楽を一生懸命頑張っている学生さんたちに、私もやっぱり当時の先生に言われたことと同じことを伝えたいです。
 「自分の耳で聴き、考え、自発的に演奏すること。そういうものに人は感動する。」と。

 

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