三浦市立初声中学校 土屋和彦先生/部活に迷わず打ち込めたその時代の良さを再認識

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投稿エピソード#22

三浦市立初声中学校 土屋和彦先生/部活に迷わず打ち込めたその時代の良さを再認識

2020年9月3日

 今回、レジェンダリー・リターンズに三浦市立初声中学校、1998年の自由曲、M.ラヴェル作曲「スペイン狂詩曲」が選ばれたとお聞きし、とても嬉しく、そして懐かしい気持ちになりました。今回のCD発売に際し、当時の三年生にオンラインインタビュー(飲み会?)をすることにしました。そこに集まってくれた卒業生たちから多くの秘話も聞けました。

 

選曲の理由/選曲時のエピソード:選曲は迷わず、二年連続ラヴェル

 1997年、夢の全日本吹奏楽コンクールに初出場。その時の自由曲が「ダフニスとクロエ第2組曲」。全国大会の後半の部で「ダフニスとクロエ第2組曲」が三校(原町第一、初声、山王)並んだこと、今でもはっきり覚えています。翌年の選曲は迷わず、二年連続、ラヴェルに取り組もうと決め、スペイン狂詩曲を選曲しました。クラリネットに高校卒業後、フランスに留学し、現在、クラリネット奏者として活躍している吉川君がいたことも選曲の理由の一つです。アレンジは森田一浩先生にお願いしました。先生からスコアが1ページずつ、Faxで送られてきます。そのスコアから生徒が自分のパート譜を書き起こすことにとても苦労したようです(当時は当たり前の情景だと思っていました。)

 

練習時の苦労話:全国大会の4日前まで中間テスト

 全国大会の4日前まで中間テストがありました。私は忘れていましたが、試験の終わった日から前日まで、夜9時まで練習をしたそうです。全国大会は泊りでの参加ではないので、授業後に練習時間を確保するために、夜間練習は苦肉の策だったのでしょう。こういうのをブラック部活というのでしょうか。保護者のみなさん、差し入れ、車での送迎、ありがとうございました。全国大会までの練習は生徒にとっても私にとっても至極の時でした。

 

当時のバンドについて:小学生からの経験者も多く、1年生だけでマクベスのマスクを演奏

 当時、初声中学校の全校生徒数は500名弱くらいだったでしょうか。そのうち、80人以上が吹奏楽部員でした。練習は土曜日、日曜日もやっていたので、生徒たちは覚悟を決めて入部してくれていたのでしょう。スペイン狂詩曲の代の三年生は特に優秀な生徒が多く、小学生からの経験者も多かったので、中学1年生の時から1年生だけで吹奏楽コンクールB部門に出場し、地区大会で金賞受賞。県大会でもあともう一歩で入賞するくらいのポテンシャルがありました。少し背伸びさせて、1年生だけでW.F.マクベス作曲「マスク」をコンクールの自由曲として演奏したのを覚えています。

 

本番時のエピソード:時間通りに到着するかハラハラ・・・

 本番の日が三浦市中学校駅伝大会と重なり、当日のリハーサルを急遽、初声小学校の体育館で行い、普門館に出発しました。出発が遅れ、時間通りに到着するかハラハラしたのを覚えています。大会前日から都内に宿泊すればよかったなと演奏前からバスの中で後悔していました。(笑)

 

メンバーのその後:それぞれのフィールドで活躍するメンバーと、ここでは書ききれない秘話を語り合いながら―

 岡山で発達障害のある子どもたちにリトミックを教える典子さん、ご主人の転勤で大阪、岡山と引っ越し続きで金融関係の仕事で頑張る澄子さん、三浦市で三児の母として子育て奮闘中の優子さん、そして、三浦市で音楽の教員をしながら、三浦シティウインドオーケストラの指揮者として地域の音楽の文化を支えているタカ江さん、それ以外のメンバーもみんなそれぞれのフィールドで活躍しています。吹奏楽部の活動が中学生活の98%、と語っていたオンラインインタビューに参加してくれたメンバー。ここでは書ききれない秘話を聞きながら、当時の自分の指導を反省しつつ、部活に迷わず打ち込めたその時代の良さを再認識させてくれたひと時でした。

 

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