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科学の力で音楽家の身体制御メカニズムを探る

「あの人、上手いなぁ…あんな風に吹きたい…!」
でも、自分と何が違うの? 上手い人は身体をどう使って吹いているの?
誰もが抱くその疑問に、科学の力で挑む研究がある!
2019年8月7日

 皆さんは、スポーツ科学という学問をご存知でしょうか? これは「アスリートの運動を科学的に分析し、最適な動作や練習方法を探る学問」です。この学問の発展がスポーツ競技者の成績向上を支え、例えば野球においては高校生が160km/hを超える速球を投げる時代になりました。このスポーツ科学のアプローチを音楽家に応用出来ないか、と日々奮闘している研究者がいます。

 今回のコラムは、そうした取り組みを行っている研究者の活動を紹介します。


 はじめまして。音楽演奏家を研究している平野剛(ひらのたけし)です。私は「奏者が、演奏中に体をどのようにコントロールしているのか?」ということを知るため、大学で日々研究を行っています。スポーツ選手の運動を分析するように、楽器演奏中の奏者の体の動きなどを分析することで、これまでさまざまなことが明らかになってきています。今回のコラムでその一例をご紹介したいと思います。


音楽に科学を取り入れる理由

「プロ奏者はどうして上手に演奏できるのだろう」と皆さんは疑問に感じたことはありませんか?同じ楽器を手にしても、プロ奏者が演奏したときと初心者が演奏するときでは、音がまるで違います。私も20年以上ホルンを演奏していますが、プロ奏者の演奏を聴く度に「自分の音とは、まるで違うなぁ」と思うことがあります。

 

・プロ奏者と初心者では何が違うのか?

・どのように練習すれば上手になれるのか?

 

 これらの理由を「科学的な観点から明らかにしたい」という思いから、私の研究はスタートしています。

 

 スポーツの世界では、科学的な証拠に基づいて「理にかなったトレーニング方法の提案」や「トレーニング器具の開発」などが盛んに行われています。例えば、オリンピックを目指すスポーツ選手には、スポーツトレーナー、心理カウンセラー、栄養士など各分野の専門スタッフがつき、それぞれの立場から選手に最適と思われる助言をすることで、彼らの高いパフォーマンスを支えています。

 

 一方音楽の世界では、スポーツ選手のように各分野の専門スタッフをつけて自身の管理を行っている人はどれだけいるでしょうか?私は、一流スポーツ選手のように専門スタッフから日頃助言を受けている音楽家にこれまで出会ったことがありません。これは大変残念なことだと感じています。音楽の世界も、それぞれの専門家に支えられながら科学的根拠に基づいたトレーニングを行うことで最高のパフォーマンスを引き出すことができ、また生涯にわたって怪我のリスクを最小限に抑えながら演奏活動ができるようになると思います。

 

 こうした思いを抱きながら、私たち研究チームは「科学的アプローチで演奏家の身体運動メカニズムを明らかにする研究」を行っています。

 
ホルンの「ハイF」=1秒間に約700回の唇の振動

 トランペットをはじめとする金管楽器では、一般的に高い音の演奏は難しいとされています。例えば、ホルンでは「ハイF」といわれる高い音がありますが、この音を鳴らすことのできない奏者は具体的に体をどのようにコントロールしたら良いのでしょうか? 私も小学生の頃、この「ハイF」が演奏できず「一体どうしたら高い音を演奏できるのだろう?」と真剣に悩んだものです。

 

 そもそもホルン演奏で「音が鳴る」とは、どのような物理現象によって起こるのでしょうか?「音」は空気の振動で、音の高さは1秒あたりの振動数で決まります。この「ハイF」は1秒間に約700回の空気の振動が必要で、ホルン演奏ではマウスピースにあてた奏者の唇をほぼ同じだけの振動数、すなわち1秒間に約700回も唇を振動させる必要があります。1秒間に約700回も唇を振動させるなんて、すごいことだと思いませんか? より高い音を演奏する場合は、より速く唇を振動させる必要があります。例えば、トランペットで演奏される高い音は、場合によっては1秒間に唇を1,000回以上も振動させなければなりません。高い音を演奏する難しさは、こうした唇の振動を実現しなければならない点にあります。

 
1秒に700回の振動を生むために必要なのは…

 本題に戻りましょう。実際に「ハイF」を鳴らすにはどうしたら良いでしょうか?私たちの研究チームは、唇の振動に直接関係があると思われる「唇周りの表情筋の活動」、「唇周りの皮膚表面の動き」、「マウスピースを唇に押し付ける力」などを実際に計測してきました。

 

 この「マウスピースを唇に押し付ける力」について、あるプロ奏者は「高い音を演奏するときは強く押し付ける」と言い、一方であるプロ奏者は「触れるか触れないか程度だ」と言います。いわゆる「人によって言う事が違う」状態です。楽器を始めたばかりの皆さんは一体どちらの言葉を信じればよいのでしょう?

 

 私たち研究チームは、この「マウスピースを唇に押し付ける力」を計測する装置を開発し、プロ奏者12名に対して実験を行いました。その結果、ハイFを演奏するときは、プロ奏者では平均して約25N(ニュートン)の力、すなわち約2.5kgの重さが唇にかかっていることがわかりました。2.5kgという重さは、2.5リットル分の水が入ったペットボトルを床面と水平にして唇に押し付けている状況とほぼ同じです。この結果には、実験を行ったプロ奏者たちそして計測をした私たちも驚きました。

 
科学的なアプローチで効果的かつ納得のいくトレーニング方法を探る!

 これはほんの一例ですが、こうした科学的な研究をしてその知見を皆様に紹介することで楽器演奏に対する新たな視点を持つきっかけになればと私たちは感じています。「楽器演奏の感覚という非常に個人差の大きい事象、また奏者自身が自分に起こっていることを正しく認識することが難しい事象に対して、科学的な裏付けを与えることで生徒はより効果的な練習が出来る、指導者はより納得のいく指導が出来ると考えています

 

 今現在も、様々な取り組みを行っており、随時その成果もご紹介して参りたいと思います。研究にご興味をお持ちいただいた方は、是非下記のサイトをご覧ください。

 

 いかがでしたか?プロ奏者が演奏する時、その体に何が起こっているのか。それらが解明されることで楽器上達の速度が飛躍的に向上するかもしれない、とても面白い研究ですよね。

 今後も研究の成果をお伝えしていけたらと思っています。

 

 なお、皆さんから平野先生へのご質問・ご相談を随時受け付けております。

 下記のHPからお気軽にご連絡ください。

 
プロフィール

平野 剛(ひらの たけし)

1983年生まれ 埼玉県出身

「演奏家の体の使い方」を研究するとともに、ホルン奏者として演奏活動も行っている。将来的には、音楽に科学的な研究を融合させた「音楽演奏科学」とも呼べる新しい学問領域の確立を目指している。

 

専門分野

運動制御学、神経生理学、バイオメカニクス、身体教育学、健康応用科学

 

学 歴

2009年

東京大学大学院 総合文化研究科 修士課程修了 修士(学術)

2013年

大阪大学大学院 医学系研究科 博士課程修了 博士(医学)

 

平野剛HP(こちらをクリック)

ご質問等は上記URLのサイトからお願いします。

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