「音楽教師、最後の10年」:吉田 寛 先生 第4回 2年目『気持ちと歌』
課題の発声に悩む日々。 「音楽表現は一度置いていいから、とにかく思いを全力でぶつけてくれ!!」 すると―
2年目(2006年)。やはり課題は発声だ。フォルテの部分も客席には届かないと言われているのに、ピアノやピアニシモはどうなるの?
楽譜にピアノと書いてあれば「ここはピアノで」と注意をするが、貧弱な響きになってしまう。呼吸のことや声を出すイメージなど、引き出しをたくさん持っている指導者ならば巧みに導く事ができただろうが、私にはできなかった。「支えのある声でと言われても、支えって何?」という気持ちが生徒にはあっただろう。
この年のコンクール練習には、当時音楽部のOB会の会長であった、故・小髙秀一先生が教えに来てくださった。「声を持ち上げて、もっと上の方を意識して」と下がるピッチを上げようと色々工夫して教えてくださったのを覚えている。
夏休みに入り、唯一のトップの3年生が肺炎でしばらく部活に来られない状態が続いた。お盆過ぎくらいに戻ってきたものの、飛躍的には良くならず、コンクール1週間前に教えに来てくださった小髙先生も、ついに「俺の教え方が悪いのかなぁ」と弱音を吐かれたのを今でも覚えている。
私も指揮をしていて歯がゆいのだ。背中がかゆくてイライラする感じである。「気持ちを爆発させてでもいいから、もっと伝わる演奏をしてくれええええ!」と叫びたい思いが溢れてきて、生徒にこう言った。「ピアノやメゾピアノは無し。すべてフォルテで歌い、フォルテはフォルテシモで歌え!」と。やってみるとイジイジした部分がなくなり、生徒も解放された気分になったようで、音楽がずっと良くなってきた。
発声が良くない、前に声が飛ばない状態でのピアノやピアニシモの表現は、音楽を殺しているようなものだったのだ。生徒の状況(発声の技術や力)を知らないで、楽譜に沿った音楽をやろうとしていた私のミスだったと気づき、改善したところ、1週間で魔法がかかったように良くなり、県のコンクール金賞(Aの部)、関東大会(栃木)銀賞に輝いた。
同じようなことを、初めて赴任した杉戸農業高校でやらせたことを思い出した。コンクールではなく、高校音楽祭での吹奏楽の演奏だった。フォルテで吹きまくるように演奏?させたことがある。自信が無く、大きな音を出すことが出来なかったからなのだ。音楽祭の講師の先生には、「あれは音楽ではない。」と言われた。そんなことは百も承知だったが、生徒の気持ちを解放すること、人前で自信を持って大きな音をだすこと、そこから始めなくてはならなかったのだ。それが杉戸農高8年ぶりのコンクールでの入賞に繋がったと思っている。
話を合唱に戻そう。この年のSVECには変則的に分かれた2チームで参加した。2チームとも昨年よりは良い結果だった。少しずつかもしれないが生徒たちの頑張りが実を結んでいるのだ。
そんなSVECが終わってすぐの2月、川越市合唱連盟の発声講習会で、佐々木憲二先生の講習を受けた。この人の教え方なら納得ができると感じ、川越高校のヴォイストレーナーをすぐにお願いした。
元・埼玉県立川越高校音楽部ー吉田寛先生