吹奏楽の巨匠・兼田敏の音楽
作曲家・兼田敏氏がこの世を去られてから早20年、日本吹奏楽界に一大転換をもたらした巨匠が残したメッセージとは?この機会にその音楽に触れてみませんか?
現在ブレーン・ミュージックで発売中のCD2タイトルをご紹介!
嗚呼!兼田敏作品集
演奏:大阪市音楽団 指揮:木村𠮷宏
日本の吹奏楽と兼田敏
※ブックレットより抜粋
保科 洋
兼田敏の吹奏楽作品集CD「嗚呼!」がブレーンミュージックからリリースされた。兼田敏の吹奏楽作品集は、先年東芝EMIから出されたCDがあるが、演奏団体や指揮者が変わると随分と感じが変わるものだとあらためて感心させられた(当たり前か)。
今更いうまでもなく、兼田は日本の吹奏楽界における重鎮であり、吹奏楽の邦人作品を世界的レベルまで高めた立役者である。こんなに持ち上げると、しぶい顔をして口をとがらす彼の表情が目に浮かぶが、小生は今でも心底からそう信じている。
彼の言を借りると、吹奏楽の世界に足をつっこんだのは“食わんがための処世方”であったかもしれんが、中学生のときから京都の名門「上京中学校」でソロトランペット奏者として活躍した体験は、ものの見事にその作品に生かされている。それは吹奏楽における“響き”のイメージを一変させるものであった。
(中略)
「嗚呼!」は1986年の全日本吹奏楽コンクール課題曲として書かれた曲である。当時、このタイトルを奇妙に感じた人も多かったらしいが、実はこの曲の本来のタイトルは「嗚呼!保科洋君!」なのである。彼に言わせるとこの曲は、小生の葬送のための曲だそうだ。だからそのお礼に、小生も「Lamentation to―」という曲を書き、彼を弔うことにした。そのような訳で、この兼田敏作品集「嗚呼!」は、小生にとって何とも言えない不思議なCDなのである。
「バラード」兼田敏作品集
演奏:広島ウインドオーケストラ 指揮:下野竜也
バラード 兼田敏作品集 に寄せて
※ブックレットより抜粋
成本理香(作曲家)
「ショパンのバラードは4番までだから俺は絶対にそれより多く書いて、あの世に行ったらショパンに『お前のバラードは4曲だけど俺は5曲書いたぞ』と自慢してやるんだ」
兼田先生は《バラードIII》まで書いた後よくこう言っていた。兼田作品の中で5曲もシリーズになっているのは〈バラード〉だけなので、そこには先生の強い思いを感じることができる。
広島でバラード全曲が演奏されるというので会場に足を運んだ。そこで私は、間違いなく兼田先生からのメッセージを受け取った。それは私が学生だった頃、常に先生が言っておられたことだったが、あれから20年以上も経ってようやく実感として本当に理解した。作曲家という仕事は、この世を去ってなおメッセージを発信する事ができるのだ。あの日会場にいた人もこのCDを聴く人も、兼田先生からのメッセージを受け取るだろう。それはもちろん、それを伝え得る演奏あってのことだ。一切のごまかし無く、真正面から作品と誠実に対峙した下野竜也さん指揮の広島ウインドオーケストラの演奏を、きっと兼田先生は好きだと思う。それは作曲家として音楽に対して常に誠実であることを大事にしてきた兼田先生の信念とぴったり重なり合うからだ。ただ、この素晴らしい演奏会にはひとつだけ残念な点がある。それは兼田先生がすでにこの世の人ではなく、この演奏会を聴けなかったことだ。
兼田先生はあの世でショパンに会って自慢しただろうか。次は私があの世に行ったら先生に「先生のバラード全曲の演奏会聴いたで!すごかったで!」と自慢しよう。先生は悔しがるだろうか。いや、きっと嬉しそうに「どうだった?」と聞くのだろう。「お前は俺が教えた事を理解するのに20年もかかったのか」と苦笑しながら。
≪兼田敏プロフィール≫
1935年 旧満州 新京特別市 生まれ。
第二次世界大戦後引き揚げ
1956年 第25回毎日音楽コンクール作曲・室内楽部門第2位
1957年 第26回毎日音楽コンクール作曲・管弦楽部門第1位
1959年 東京藝術大学音楽学部作曲科卒業
1980年 岐阜大学教育学部音楽科教授
1983年 愛知県立芸術大学音楽学部作曲専攻教授
1996年 岐阜大学大学院教育学研究科(音楽)教授
1999年 愛知県立芸術大学名誉教授
2002年 5月17日・享年66歳
≪主な作品≫
Passacalia, Symphony, Ballade I. II. III. IV. V ( for Wind Orchestra )
Symphony 25-Variations ( for Orchestra )
Sinfonietta for String Orchestra 等
吹奏楽の巨匠・兼田敏の音楽
作曲家・兼田敏氏がこの世を去られてから早20年、日本吹奏楽界に一大転換をもたらした巨匠が残したメッセージとは?この機会にその音楽に触れてみませんか?
現在ブレーン・ミュージックで発売中のCD2タイトルをご紹介!
嗚呼!兼田敏作品集
日本の吹奏楽と兼田敏
※ブックレットより抜粋
保科 洋
兼田敏の吹奏楽作品集CD「嗚呼!」がブレーンミュージックからリリースされた。兼田敏の吹奏楽作品集は、先年東芝EMIから出されたCDがあるが、演奏団体や指揮者が変わると随分と感じが変わるものだとあらためて感心させられた(当たり前か)。
今更いうまでもなく、兼田は日本の吹奏楽界における重鎮であり、吹奏楽の邦人作品を世界的レベルまで高めた立役者である。こんなに持ち上げると、しぶい顔をして口をとがらす彼の表情が目に浮かぶが、小生は今でも心底からそう信じている。
彼の言を借りると、吹奏楽の世界に足をつっこんだのは“食わんがための処世方”であったかもしれんが、中学生のときから京都の名門「上京中学校」でソロトランペット奏者として活躍した体験は、ものの見事にその作品に生かされている。それは吹奏楽における“響き”のイメージを一変させるものであった。
(中略)
「嗚呼!」は1986年の全日本吹奏楽コンクール課題曲として書かれた曲である。当時、このタイトルを奇妙に感じた人も多かったらしいが、実はこの曲の本来のタイトルは「嗚呼!保科洋君!」なのである。彼に言わせるとこの曲は、小生の葬送のための曲だそうだ。だからそのお礼に、小生も「Lamentation to―」という曲を書き、彼を弔うことにした。そのような訳で、この兼田敏作品集「嗚呼!」は、小生にとって何とも言えない不思議なCDなのである。
「バラード」兼田敏作品集
バラード 兼田敏作品集 に寄せて
※ブックレットより抜粋
成本理香(作曲家)
「ショパンのバラードは4番までだから俺は絶対にそれより多く書いて、あの世に行ったらショパンに『お前のバラードは4曲だけど俺は5曲書いたぞ』と自慢してやるんだ」
兼田先生は《バラードIII》まで書いた後よくこう言っていた。兼田作品の中で5曲もシリーズになっているのは〈バラード〉だけなので、そこには先生の強い思いを感じることができる。
広島でバラード全曲が演奏されるというので会場に足を運んだ。そこで私は、間違いなく兼田先生からのメッセージを受け取った。それは私が学生だった頃、常に先生が言っておられたことだったが、あれから20年以上も経ってようやく実感として本当に理解した。作曲家という仕事は、この世を去ってなおメッセージを発信する事ができるのだ。あの日会場にいた人もこのCDを聴く人も、兼田先生からのメッセージを受け取るだろう。それはもちろん、それを伝え得る演奏あってのことだ。一切のごまかし無く、真正面から作品と誠実に対峙した下野竜也さん指揮の広島ウインドオーケストラの演奏を、きっと兼田先生は好きだと思う。それは作曲家として音楽に対して常に誠実であることを大事にしてきた兼田先生の信念とぴったり重なり合うからだ。ただ、この素晴らしい演奏会にはひとつだけ残念な点がある。それは兼田先生がすでにこの世の人ではなく、この演奏会を聴けなかったことだ。
兼田先生はあの世でショパンに会って自慢しただろうか。次は私があの世に行ったら先生に「先生のバラード全曲の演奏会聴いたで!すごかったで!」と自慢しよう。先生は悔しがるだろうか。いや、きっと嬉しそうに「どうだった?」と聞くのだろう。「お前は俺が教えた事を理解するのに20年もかかったのか」と苦笑しながら。
≪兼田敏プロフィール≫
1935年 旧満州 新京特別市 生まれ。
第二次世界大戦後引き揚げ
1956年 第25回毎日音楽コンクール作曲・室内楽部門第2位
1957年 第26回毎日音楽コンクール作曲・管弦楽部門第1位
1959年 東京藝術大学音楽学部作曲科卒業
1980年 岐阜大学教育学部音楽科教授
1983年 愛知県立芸術大学音楽学部作曲専攻教授
1996年 岐阜大学大学院教育学研究科(音楽)教授
1999年 愛知県立芸術大学名誉教授
2002年 5月17日・享年66歳
≪主な作品≫
Passacalia, Symphony, Ballade I. II. III. IV. V ( for Wind Orchestra )
Symphony 25-Variations ( for Orchestra )
Sinfonietta for String Orchestra 等